「南の島のおばーと孫」で大人気に
はじみてぃ・やーさいー(沖縄言葉で、初めてお目にかかります)。
大田吉子、90歳。TikTokerです。
2019年のお盆のこと。隣の家に住んでいてよく遊びに来ていた孫の浩之が「TikTokっちゅうものを一緒にやらんかね」と誘ってきまして。「南の島のおばーと孫」(おばーは、沖縄では「おばあちゃん」という意味)というアカウントに登場しております。
私が好き勝手おしゃべりしたり、海や山で遊んだりしている様子を孫がスマホで撮影しておりましてね。その動画や写真は、インターネット上で誰でも見ることができるのだそうです。
「おばーの遊んでいるところなんて誰が見たいのだろう?」「私、女優さんでもないのに、なんでカメラに撮られているの?」と思いましたけれど、孫が「やろうよ、おばー」と言うもんですから「私でよければ」とやっておりました。
そうしたらなんと、現在50万人もの人たちが私たちの動画や写真を見てくれているというのです。
沖縄から遠く離れた本土の人にまで「おばー、かわいい」なんて評判になっていると聞いて、それはそれは驚いております。最近は、インターネットを見た人に、近所の道の駅で声をかけられることも多くなりました。「一緒に写真撮ってもらっていいですか」なんて言われることもあるんですよ!
口癖は「私でよければなんでもやるよ」
喜んでくれる人がいると思うとなんだかうれしくなって、俄然はりきってしまうおばーです。
「私でよければなんでもやるよ」
これが私の口癖、座右の銘でございます。
1934年(昭和9年)3月生まれ。おぎゃーと生まれたときから今日までずっと、沖縄県国頭村の奥間というところで暮らしてきました。沖縄本島の最北端、山原の森の中、静かないい村でございます。
子どもは、男の子ばかり5人。今はそれぞれ所帯を持ち、孫が10人、ひ孫が14人もできました。
夫は2023年の4月に老衰で亡くなりまして、現在私は奥間でひとり暮らしをしています。
私の人生、とにかく忙しかったです。貧しい家に生まれ、食べ物といえばふかした芋ばかりだった子ども時代。10歳の頃には戦争でずいぶんと悲しい光景を目の当たりにしました。
戦後は家計の足しになればと、高校に行きながら幼稚園の保育士さんとして働き、卒業したあとも家族を助けるためにいろいろな仕事をいたしましてね。バスガイド、アメリカ軍ラジオ局の電話交換手、結婚してからは夫と一緒に村で初のアイスキャンディー店を開店。さらに精肉店や鮮魚店も夫と一緒にやりました。
子どもが生まれてからは「絶対に5人の息子全員を大学まで出して立派に育て上げる!」と心に決め、そのためにはなんでもやったものです。