もし、ビルに出会わなければ……

ヒラリーがビルに出会ったのは、イェール大学のロースクール(法学大学院)でのことだった。当時のロースクールは男性中心で女性に対して差別的だったのだが、ヒラリーはエリートが集まっていたこのロースクールで「最も優れた学生」として名が知られていた。ヒラリーに惚れ込んで何度も求愛して断られ、それでも諦めなかったのはビルのほうだ。もしヒラリーがビルに出会わなければ、彼女自身が著名な政治家、あるいは大統領になっていたのではないかと想像する人は少なくない。

だがそれはパラレルワールドのヒラリーである。現実ではヒラリーはビルに出会い、結婚し、南部のアーカンソー州で州知事夫人になり、大統領夫人になった。その後、ニューヨーク州選出の上院議員になり、2008年には大統領選挙の予備選でバラク・オバマと激戦して破れ、オバマ政権で国務長官になり、2016年には民主党指名候補として再び大統領選挙に出たがトランプに破れた。上院議員以降のヒラリーのキャリアは、彼女自身が作ったものである。だが、男性政治アナリストから「大統領夫人でなかったら上院議員になんかなれなかった」と揶揄やゆされたりもした。

妻の足を引っ張り続ける夫

それ以上にヒラリーの足を引っ張ったのは、ビルのセクハラと不倫のスキャンダルだ。自分自身がスキャンダルを犯したのでもないのに、ヒラリーは妻としての責任を問われ続けた。1998年にホワイトハウス実習生のモニカ・ルインスキーとの不倫で、ビルが大統領弾劾裁判に追い込まれたときにも、ルインスキーを擁護しなかったことで「それでもフェミニストなのか?」と責められた。2016年の大統領選挙の時も、トランプはビルをセクハラで訴えた女性たちをディベートの場に招いてヒラリーにプレッシャーを与えた。

ある年齢以上のアメリカ人女性は、こういった「夫の罪を妻が負う」ことの理不尽さを、自分自身の体験にも重ねて同情した。だが、若い世代の女性はそうではなかった。いつまでも妻の足を引っ張り続ける夫と縁を切らないヒラリーに対する同情心はほとんどなく、大学生くらいの若い女性のフェミニズムのアイコンになることができなかった。

その点、ハリスは50歳を過ぎて結婚するまで独身で子供もおらず、キャリア一筋だった。46歳の若さで、女性として、黒人として、南アジア系として初めてのカリフォルニア州司法長官に選ばれて歴史を書き換えた(ハリスの父はジャマイカ出身の黒人で、母はインド出身の南アジア系)。2017年に上院議員になってからは、大統領選挙での「ロシア疑惑」に関する上院司法委員会でトランプ支持者の司法長官ジェフ・セッションズに鋭く切り込む勇姿に対して多くのファンが生まれた。トランプから連邦最高判事に指名されたブレット・カバノーが過去の性暴力を追求されたときには、公聴会で怒りや涙を交えて感情的に自己弁護するカバノーに対し、冷静かつ厳しく問い詰めるハリスの姿はさらに印象的だった。