現実は「二項対立」ではできていない
○○問題をめぐって住民どうしが対立している、という報道に接し、実際に行ってみて、いろいろな人に詳しく聞いてみると、じつは「対立」ではなく「意見の相違」くらいで、しかも意見は二つにわかれているのではなく、三つにも四つにもわかれている、ということがわかったりします。そもそも「○○問題」というフレーム(枠組み)すらあやしい、ということも見えてきます。
このように、現場に出かけ、見て、話を聞くことで実際の姿に迫ろうとすること、それがフィールドワークです。
フィールドワーク、と一言で言っても、いろいろなものがあります。山のなかに入ってどんな植物が生えているか調べるのもフィールドワークですし、大都市の駅前で人の流れを観察するのもフィールドワークでしょう。
一軒一軒訪ねて話を聞くというフィールドワークもありますし、企業や行政に対してインタビューを行うのもフィールドワークです。あるNPOの活動にしばらく参加させてもらって、なかから観察するのもフィールドワークですし、工場に入って一緒に働いてみるというのもフィールドワークです。
「現場」は“モノの見方”を変えさせる
ところで、こうしたフィールドワークを経験した人の多くが実感することがあります。それは、フィールドワークをすることで、単に現場でデータを得るということ以上のものが得られる、という実感です。「現場がやはり大事だ」と経験者はよく言います。
単にデータを得るということ以上のものがある、とはどういうことでしょうか。
一つには、現場では、単にデータが得られるだけでなく、私たちがもっているフレーム(考え方の枠組み)そのものが壊れたり再構築されたりすることが多いということです。フレームは、おおまかな仮説と言ってもよいかもしれません。こういうことを知りたくて、現場に行く。こういうことを考えて、フィールドで調査する。
すると、その「こういうこと」の妥当性がそこで揺らぐのです。これは人がとってきたデータだけを見たり、遠隔で調べたりしているときには生じにくい現象です。
現場に身を置いて、現場の雑多な「ものごと」に注意深く耳を傾けることで、私たちのなかにあった仮説、調査の前提として考えていたフレームが壊れていきます。