「権力者への嫌味」を超えた大流行

そもそも「上級国民」という言葉が一般的に使われるようになったきっかけは、2020年東京オリンピック・パラリンピックの公式エンブレム騒動がきっかけでした。

選考委員が選んだエンブレムのデザインが、先行するデザインに酷似しているという指摘があり、決定したエンブレム案を撤回することになりました。しかし、その記者会見の席上で、五輪組織委員会の武藤敏郎事務総長が、「専門家にはわかるが、一般国民は残念だが理解しない」と「失言」してしまいます。

この発言が「一般国民」として扱われた「普通の日本国民」の反感を買い、商業デザインにおける一種の「選民思想」を揶揄する言い方として「上級国民」なる言葉が使われるようになりました。つまり、もともとの使われ方においても「上級国民」という言葉には「権力者への嫌味」が込められていたのです。

ですが、池袋の暴走事故後に広がった「上級国民叩き」の激しさは単なる嫌味のレベルを大きく超えていたと思います。

当時、安倍首相に近いジャーナリストに対して暴行容疑で逮捕状が取られていたにも関わらず、首相に近い官僚の手によって逮捕状がもみ消された、という「疑惑」が別にあったのですが、その事件も引き合いにして「上級国民」は「何をしても罪に問われないような絶対権力者」かのように言及する記事が大量に出現しました。

人は「極論」に飛びつく

ベストセラー作家の橘玲さんが『上級国民/下級国民』と題した書籍を刊行すると「いったん『下級国民』に落ちてしまえば、『下級国民』として老い、死んでいくしかない。幸福な人生を手に入れられるのは『上級国民』だけだ」という言葉に熱狂的な支持が集まり、たちまちベストセラーになりました。

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ただ、実際のところ「上級国民」なら逮捕されないと言うのは、極端な陰謀論ではないかと思います。池袋暴走事件においても警察が逮捕しなかったのは「容疑者が高齢で、また入院しており、逃亡の恐れもなかった」からだと説明されていました。

その後容疑者は在宅起訴されており、司法の手続きが取られているのは間違いありません。ほかにも事件以降に逮捕された国会議員もいますので、「上級国民」は罪を免れるというのは幻想に過ぎないとわかります。

ただ一方で「上級国民なら罪を犯しても逮捕されない」という言説には、一般的な日本国民を「熱狂」させる力があったことは間違いありません。

『上級国民/下級国民』がベストセラーとなった橘玲さんは週刊誌の取材に対して「何らかの忖度はあったのではないか」と述べておられますが、こうした見方のほうが一般に広がりやすかったのは事実です。