レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』は史上最高の絵画と名高い。ところが、1911年の盗難事件で注目されるまでは、無名の作品にすぎなかった。行動学者のジョン・レヴィ氏の著書『影響力の科学 ビジネスで成功し人生を豊かにする最上のスキル』(小山竜央監修、島藤真澄訳、KADOKAWA)より、一部を紹介しよう――。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』
レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』(画像=ルーヴル美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

その絵画は、誰にも気づかれずに盗まれていた

1911年8月21日月曜日、午前6時55分、白い作業スモックを着た男が、フランス、パリのルーヴル美術館に入った。毎週月曜日、ルーヴル美術館は清掃、メンテナンス、搬出入のために一般公開されず、そのため男は気づかれずに行動できた。おまけにこの時、美術館は、当時世界最大の建物(約18万2000平方メートルの敷地に1000の部屋)の警備要員を、すでに166人から僅わずか12人にまで減らしていた。

男は誰もいないホールを歩きながら、ルネッサンス絵画を集めたサロン・カレに入った。中に入ると、彼はイタリアの巨匠たちによる数多くの作品の中で、どれが一番気に入ったかを少し考えたが、脱出しやすさを考慮し、一番小さな作品を手に取った。何の変哲もない作品だが、額縁を外すと、脱出するのに便利なサイズだった。

彼はそれを横のドアから運び出し、人目を避けて逃げようと考えたが、この日は横のドアにかぎがかかっており、別の作戦が必要だった。

そこで彼は大胆な策に出た。絵を白いスモックに包み、脇に挟んで、入った時と同じように外に出たのだ。※1

驚くべきことに、誰にも気づかれず、誰にも止められなかった。翌日、美術館が一般公開されて初めて、ある来館者が絵がなくなっていることを警備員に知らせた。

“空っぽの場所”を見るために大勢の人が殺到

美術館の警備本部は、作品は写真撮影や修復のためにルーヴル美術館の職員によって持ち出されたに違いないと断言していたが、やがて盗まれたことが知れ渡った。世界中の新聞がこの話を取り上げ、1面の見出しにまでなった。

それはイタリア・ルネサンス時代に描かれたこの無名な作品について、誰も聞いたことも関心を持ったこともなかったからではなく、ルーヴル美術館を管理するフランス政府の無能さを揶揄やゆするためだった。窃盗事件への怒りが高まり、その返還のために報奨金が出されるようになると、ルーヴル美術館の脇の展示室に飾られていたこの無名の作品は、瞬く間に世界で最も有名な絵画となった。

強盗事件は伝説となり、ルーヴル美術館が再開されると、サロン・カレに人々が押し寄せ、その中には有名な作家フランツ・カフカもいた――かつてその絵があった場所が空っぽになっているのを見るためだけに。パリ中に6500枚もの指名手配書が配られ、絵画を特定するよう呼びかけられ、泥棒を捕まえなければならないというプレッシャーから、60人の刑事がこの事件を担当することになった。

彼らは手がかりを探そうとしたが、何も出てこなかった。