コロナ禍の日本では「自粛警察」と呼ばれる行動が相次いだ。こうした動きは日本特有だという。なぜ日本人は規律やルールを他人に押しつけようとするのか。『ガチガチの世界をゆるめる』(百万年書房)を出した澤田智洋さんは「軍隊式の体育教育に原因がありそうです。まずは『体育脳』をゆるめることが大事です」という——。
なぜ、あの人の頭はカチコチに固いのか?
「今までずっとこのやり方でやってきたから、ダメです」
思いもよらぬ言葉に、ぼくはフリーズしました。場所は、あるアート作品の審査会場。ぼくを含め7人の審査員が集まり、およそ300点の作品から、30点の作品を選んでいる最中のことでした。
詳細は省きますが、審査が行き詰まっていたので、ある新しい審査法を提案したら、「ダメです」と一蹴されたのです(最終的にぼくのやり方に賛同が集まり、そのやり方で進めたのですが)。
「新しいやり方ではダメだ」と声を荒げた男性(60代)に、悪気はありません。その方の正義を通しただけです。わかります。ご本人は悪くない。では、何が問題か? それはずばり「体育教育」だと思うのです。
ルールを守るプロフェッショナル
日本の体育では、今でも「ルールを守ること」が求められます。一糸乱れぬ整列と体操。ミスをしたらため息をつかれ、怒られる。先生は神のごとく絶対で、抗ってはいけない。つまり、既存ルールを巧みに攻略し、先生の言うことをよく聞く生徒がヒーローになるわけです。
この授業スタイルが生んできたのが、「体育脳」です。ルールを守るプロフェッショナルと言い換えてもいいでしょう。
昭和は、「体育脳の時代」でした。
なぜなら、規律を重んじ、チームの和を尊び、リーダーの命令を遵守する体育脳の先輩方は、「大量生産社会」において、フルにその力を発揮できたからです。