勝てなくなった「体育脳」の日本人

だけど、時代は変わってしまった。VUCA(Volatility/変動性、Uncertainty/不確実性、Complexity/複雑性、Ambiguity/曖昧性)と言われるように、先行きはどんどん不透明になっています。生活者の嗜好も多様化がすすみ、商品開発の「絶対解」がみあたらなくなっている。事業が、事業計画通りにいかない。経済学者の経済予想が、予想の意味をなしていない。経営者や管理職、上司のジャッジが正しいかどうかもわからない。

そう、「バキバキの身体と、ベキベキ(○○すべき)の頭」では、今の時代を勝ち抜くことができなくなってしまった。ゲームは変わってしまったのです。

この変化と呼応するように、「上からの命令に従うだけではなく、自律性が大事だ!」とこの数年急に叫ばれはじめ、戸惑っている方も少なくないのではないでしょうか。特に、「今目の前にあるルールが絶対!」と体育で教わってきたらなおのことです。

困っているのは、上司も同じです。上意下達が普通だった時代から、部下と一緒に「次の正解ってなんだろう?」とフラットに模索しなければいけないからです。そんなことをやってきたことがないし、先輩としてのプライドが許さない。ビジネスの世界では今、葛藤や軋轢、苦悩が生まれ、ちょっとした混乱状態にあるとも言えるでしょう。

校庭に裸足で立つ子供たち
写真=iStock.com/Chiemi Kumitani
※写真はイメージです

「どうして、こんなに苦しいのだろう?」

かくいうぼくも、ザ・体育脳でした。社会のルールが絶対だと思っていたのです。でも、いくつかの経験が重なり、徐々に脱・体育脳してきました。

そもそも、ぼくは運動音痴です。走るフォームがちょっと(いやだいぶ)おかしい。ボールを投げても遠くに飛ばない。バレーボールのレシーブが、芸術的に不安定。だからぼくは体育の時間に、ずっと傷ついてきたんです。「自分はダメな人間だ」と。でも、スポーツが圧倒的に苦手だからこそ、心のどこかで思っていました。「たかが体育なのに、どうしてこんなに苦しい思いをしなくちゃならないんだろう?」。体育脳への、かすかな反抗です。

さらに、高校時代をアメリカで過ごす中で、気づきました。

「あれ、日本の体育が特殊だっただけだ……」

アメリカの学校にはP.E(Physical Education)というスポーツの授業があるのですが、体育とはずいぶん様子が違いました。たとえば、複数のスポーツの中から好きなスポーツを選べるんです。これは運動音痴には、救いの神でした……。ワーストよりベターを選べるからです。

また、急に先生が「今日はサッカーをやるけど、ルール変えちゃおう! ボール2つでやってみよう!」と両脇にサッカーボールを抱えながら言ってきたこともあります。

え、いいの? 戸惑っているのは体育脳のぼくだけ。アメリカ人の友人たちは「OK」「Let’s Have Fun」という感じで、ルールが変わったことを楽しもうとしていました。

そう。ぼくが苦手だった体育は、世界的にみても「特殊」な世界だったのです。