女性にもファンが広がった最大の理由
さて、『鬼滅の刃』がなぜヒットしたのかを、私なりに考えてみたいと思います。
『鬼滅の刃』が連載されていた少年ジャンプでは、「少年が仲間に貢献しながら、がんばって敵を倒したり、何かを達成したりする」という「友情・努力・勝利」というヒットの法則のもとに作品がつくられているというのは有名な話です。その法則にのっとった代表的な作品が尾田栄一郎さんの『ワンピース』だとしたら、『鬼滅の刃』はどこが違うのでしょうか。
まず一番大きいのは、主人公が「ビジョン型」か「共感型」かの違いでしょう。『ワンピース』で主人公・ルフィは、「“海賊王”に、おれはなるっ‼」と宣言する。そのルフィ個人のビジョンに賛同する仲間が一人、また一人と増えていき、敵と戦って倒していく。そうやって目標に一歩ずつ近づいていく達成感で、成り立っているストーリーです。
一方『鬼滅の刃』の主人公の炭治郎はビジョン型とは対照的に、徹頭徹尾、「人のため」に行動します。炭治郎は家族を鬼に惨殺され、たった一人生き残った妹の禰豆子は傷口に鬼の血を浴びたせいでみずからも鬼になってしまうのですが、炭治郎の目的は鬼への復讐よりも、禰豆子を人間に戻すことにあるのです。
鬼と戦っていく中でも、ひたすら人を救うことを一義に置く炭治郎は、「利他的」であり、「共感型」です。『ワンピース』が利己的というわけではありませんが、個人の目標を達成するために自分が中心となって活躍するルフィと比べると、炭治郎はとても利他的であり、他者への共感力にあふれています。これが、女性にもファンが広がった最大の理由だとみています。
また、「これを達成するぞ!」というビジョン型は、ビジョンに賛同する人を惹きつけられればうまくいくけれど、ひとつ間違うと「勝手にやれば?」となってしまう。現代のように先の見えにくい時代にはとくに、「ビジョン型」よりも仲間と一歩ずつ進む「共感型」のほうが支持されるのかもしれません。
人の役に立つことがしたい
共感の対象は仲間だけに向かうとは限りません。いままでのアニメであれば、敵を倒したあとはスカッとした余韻にひたっていればよかったのですが、『鬼滅の刃』では鬼自身の後悔や深い悲しみに対して、炭治郎がいちいち共感します。さらに映画のクライマックスでは、中心的な登場人物が究極の利他的な行動をします。そのシーンでは、映画館のあちこちからすすり泣きが聞こえてきました。
いまの若い人たちと話していると、仕事でも普段の生活でも、「人の役に立つこと」を大事にしていることに気づきます。上の世代はそこに偽善や照れを感じがちですが、若い世代は「人の役に立つことをしたい」とまっすぐに言い切る。彼らにとって、炭治郎をはじめ登場人物の利他的な姿は、とても感情移入しやすいものだったのではないでしょうか。