運転免許証は身分証明書にもなるし、ちょっと先走ったかなと思ったときもありました。でも、そのまま持ち続けていたら、やはり運転したくなります。いまでは、歩けるところは歩くけれど、転ぶことも増えてきたので、ほとんどタクシーを使っています。

身をもって感じる地域の人たちの支えとぬくもり

あるいは認知症と社会ということでいえば、地域ケアという言葉が盛んに聞かれるようになってきました。これはとても大切なことだと思います。子供の数が少なくなり、高齢者が増え、家族や地域の絆が薄れたといわれますが、地域ケアがあるかどうかで、安心感が大きく変わってきます。

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ボクも認知症になって、地域ケアの重要性をあらためて感じました。自宅近くにある幹線道を渡っているとき、真ん中あたりで転んで倒れてしまったことがあります。

そうしたら二人の男性が車をとめて、安全な場所まで運んでいってくれました。そのあと女性が来て、ボクのことを「見かけたことがあります。近所に住んでいますから」といって、家まで送ってくれたのです。

地面に顔を打ちつけてしまったから血だらけになっていて、自分ではあまり痛みは感じていませんでしたが、けっこうひどい状態だったようです。その女性は家までボクを送ってくれたあと、家内にも会って状況を説明してくれて、そこでボクはやっと落ち着くことができました。

これこそ地域ケアだと思います。地域全体で、きちんと見てくれる。必要なときには手を差し伸べてくれる。お互いを大切に思い、ぬくもりのある絆をつくって日々を暮らしていくことの大切さを、身をもって感じています。

医療は認知症にどう向き合うべきか

認知症に社会が果たす役割は論をちませんが、認知症に対して医療はどう向き合うべきでしょうか。

1973年にボクは聖マリアンナ医科大学の教授となり、その翌年、長谷川式スケールを公表しました。そのせいか大学の病院の外来には、認知症の患者さんが各地からたくさん訪れるようになりました。

付き添ってくるご家族の悩みは切実です。「家にいるのに『帰る』と言い張ります」「何度も同じことをいうので疲れます。どうしたらよいですか」……。こうした悩みに外来診療でじっくり答えるのは難しい。そこで外来の延長として、独自にデイケアを始めることを考えました。

治療法がないという状況にあっては、認知症の患者さんとご家族にとって、医師や医療はほとんど役に立ちません。無力です。でも、医者として何とかしたい。そういう思いが常にありました。診断し、病名を告げてそれで終わりというのではなく、そこからできることを医療者としてもやっていきたいと思っていました。