手探りで始まった独自のデイケア

デイケアを外来の延長として始めてはどうかという構想を看護師たちに相談すると、すぐさま、「先生、やりましょう」といってくれました。1983年からスタートすることにしましたが、参考にすべきものは何もなく、まさに手探りでした。

毎週水曜日の日中に、ご本人7~8人とご家族の方が見え、数カ月たったら次の方たちと交代します。曜日にちなみ、「水曜会」と名づけられました。

目的の一つは、ご本人の心の働きを活発にすることです。時間や場所がわからなくなっても感情は残りますから、いろいろな刺激を受けることが大切です。

もう一つは、ご家族への支援です。介護はやはりたいへんですから、職員が相談に乗って少しでも安心していただくと同時に、症状についての医学的な説明やケアの助言なども行ないました。

血圧と体調をチェックして、昼食を挟んで歌や体操、ボウリングなどをします。ボウリングはルールが簡単で結果もわかりやすいので、好評でした。

最近の出来事を忘れても昔のことは覚えている方が多いため、昔の写真やお手玉などを用意し、みんなで「思い出語り」もしました。いわゆる回想法です。一日の終わりには、反省会を行ないます。ほとんどの人が朝から何をしたか忘れてしまいますが、覚えていたときは笑顔になります。

「治らない病気」と向き合うための覚悟

水曜会の部屋に、こちらからあちら側は見えるけれど、あちら側からは鏡になって見えないマジックミラーがありました。最初、認知症の方とそのご家族が固まってしまい、離れなかったため、ご家族にマジックミラーの向こう側に行ってもらいました。

そこから様子を見ていたご家族が、「お宅のお年寄り、お元気ですね」「あれ、あんなに笑っている」などと互いに話しはじめたのです。

それまでは、自分のおじいちゃん、おばあちゃんしか見ていなかったのが、ほかの高齢者と比べることで客観的な視点をもつことができ、ゆとりが生まれました。そこでさまざまな発見があったのは、マジックミラーの思わぬ効果でした。

試行錯誤から始まったデイケアは、13年ほどで幕を閉じることになりました。行政の取り組みも進んできて、一定の役割を終えたと考えられたからです。

ボク自身、悪戦苦闘しながらもデイケアを始め、認知症のご本人とご家族の悩みや苦しみ、悲しみ、そして希望を共有させていただくことができました。診察室のなかだけでは、なかなか、わからなかったことです。