自身が認知症になった専門医の長谷川和夫さんには、今も忘れられない患者がいる。長谷川さんは「当時は認知症に関する薬がなく、専門医に紹介状を書くことしかできなかった。その時感じた無力さが、認知症と向き合い続けるきっかけになった」という——。

※本稿は、長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

老婦人の手を握り
写真=iStock.com/Orthosie
※写真はイメージです

認知症になって感じた不便さ

認知症になって、もの忘れが甚だしいし、自分がやったことの確かさがはっきりしなくて、とても不便になりました。

ただ、それでも、とくに人さまの前の出るときには大丈夫なように装って、大丈夫だぞ、と自分自身に言い聞かせ、少しうそをつくような感じでやっていたら、それなりに大丈夫だということがわかってきました。別に誰かを騙すわけでもないし、そうした努力をすることは、よいことではないかと思っています。

ただ一つ、社会に対して決してやってはいけないことがあります。それはクルマの運転です。これだけは絶対、やめたほうがよい。事故を起こして、人を傷つけたらたいへんです。

ボクは、じつは、クルマが大好きです。以前は自分でクルマを運転していました。若いとき、アメリカにいたころは運転するのが当たり前でしたし、日本に戻ってからも、大学病院などへの通勤はもっぱらクルマでした。最初に乗っていた車種はマークⅡ。次はベンツ。ぜいたくをしないボクが「これだけは」といったので、家内も買うことを認めてくれました。

でも、80歳のころ、車体をこするようなことがあり、これはいけない、危ないと思ってすぐにやめた。未練を残して、小さなクルマなら大丈夫じゃないかとあとで思ってしまうといけないと考え、思い切って運転免許証を返納しました。