6人の妻を娶(めと)り、うち2人を処刑した暴君

——例えば、どのような人物がいるのでしょうか。

ヘンリー8世の肖像画(ウォーカーアートギャラリー所蔵)出典:Wikipedia

私が『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)で取り上げた「悪党」は7人いますが、例えばヘンリ8世(1491~1547)などはその典型でしょう。

「好色漢」として知られ、6人の妻を次々とめとり、そのうち2人を離縁し、2人を処刑し、1人は出産後すぐに亡くなりました。また、正式な妻にはならずに愛妾として彼の子を宿した女性も数知れないと言われており、その好色ぶりは後世までの語り草となっています。

また「浪費癖」もすさまじい。ヘンリは、戦争を繰り返すことで巨額の戦費を濫用し、平和なときでも美食とおしゃれでお金を浪費し、年間の衣装代は4,000ポンドに及んだとされています。彼が1年間に作らせていたシャツは200着、帽子は37個、タイツは65~146組の間、靴下は60組、サテンの靴、ベルベットのスリッパ、革製のブーツなど履物は175組にのぼりました。

それでも「弱小国イングランドを大英帝国へと押し上げた君主」

——絶対に夫にはしたくない男ですね。

さらに付け加えれば、「残虐性」も強く、ヘンリは公の場で最も多くの処刑を行わせた王だったかもしれません。上記2人の王妃に加え、枢機卿すうききょう1人、貴族とその家族20人以上、政府高官4人、側近6人、そして大小修道院長や宗教的な反乱に加担したものなどを含めれば優に200人を超えます。

——そんなひどい男が、どんな業績を残しているというのでしょうか。

ヘンリ8世は、辺境の弱小国だったイングランドを、世界に冠たる大英帝国へと押し上げる基礎を築いた君主だと評価されています。まずローマ教皇とたもとを分かちイングランド国教会を形成し、宗教的な独立を果たしました。そして、スコットランドの併合には挫折するものの、ウェールズとアイルランドを併合し、また外交にも力を注ぎ、曲がりなりにも強大国フランスに対抗できるだけの国力を身につけました。しかも、意外なことに、それまでの王とは異なり議会を尊重する政治を行い、のちのイギリスの議会政治の布石を打った君主という評価もできるのです。