国民は清廉潔白な政治家を支持するとは限らない

——最初の質問に戻りますが、「悪党」ばかりが権力を握るのはなぜなのでしょうか。

パーマストン首相が80歳で急逝した直後に、女性スキャンダルが持ち上がったことがあります。野党保守党で彼と対峙たいじしたベンジャミン・ディズレーリは、このスキャンダルにあたり次のように漏らしました。

「パーマストンの老いらくの恋だって! ばかげた話だ。だが選挙の時に知られなくてよかった。そんなことになっていたら、彼はさらなる人気をつかんだことだろう」

のちに首相として卓越した政治手腕を見せたディズレーリのこの言葉には、政治指導者に国民が何を求めているかについての洞察が含まれているように思われます。端的に言えば、清廉潔白な人物よりも、老いてもなお愛人を作れるだけの器量と精力を失わない人物のほうに、国民は自らの命運を託そうとするものだということです。

「偉大な業績」と「道徳的資質」との間にはしばしば相反が見られる

——うーん、にわかには同意できませんが、たしかに今の政治状況を見ていると、そのような傾向があるのも否定できません。

君塚直隆『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)
君塚直隆『悪党たちの大英帝国』(新潮選書)

誤解しないでいただきたいのですが、私は何も「政治家は道徳的に堕落しても、結果さえ出せば良い」と言いたいわけではありません。もちろん政治家にも道徳的な存在であってほしいと強く願っています。

ただし、歴史家として言えば、政治指導者における「偉大な業績」と「道徳的資質」との間にはしばしば相反が見られること、そして国民の側も必ずしも道徳的な政治家を支持するわけではないということは、歴史の教えるところです。

そのような「不都合な真実」を頭の片隅に入れた上で、国民としていかなる態度を示すべきかを冷静かつ戦略的に考えることが――もちろん不道徳な政治家を退場させるという決断も含めて――政治的な成熟をもたらすのではないか。そのことを皆さんに伝えたいと思って、『悪党たちの大英帝国』という本を書きました。

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