人間は不自由と引き換えに「快適・清潔・安全」を手に入れてきた

今回の「新しい生活様式」に限らず、人類の歴史は、動物としての人間のコミュニケーションを修正し、より文明的でより安全に、より快適で清潔に変えていく歴史でした。パスツールが病原体を発見してからは、そこに衛生や健康を守る側面も加わっていきます。

熊代 亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)

新型コロナウイルス感染症が広がる以前から、日本社会は世界有数の清潔さを誇り、多くの人が秩序を守って行儀良く行動し、治安もハイレベルでした。高温多湿で人口密度も高い首都圏の人々が、おおむね清潔で安全な暮らしを実現できている背景には、円滑なコミュニケーションを可能にし、安全や衛生を守るのに適した生活習慣や礼儀作法が日本人に浸透しているから、という一面もあります。昭和から令和にかけてずっと、私たちは動物としての人間のコミュニケーションから少しずつ離れていくのと引き換えに、快適さや清潔さや安全性を手に入れてきたのです。

社会の変化はいつも、ある面では人間を疎外し不自由を課すものであると同時に、円滑なコミュニケーションや安全、清潔や健康といったものを提供するものでもありました。ですから社会が変化し、コミュニケーションが動物としての人間のありようから遠ざかっていくことを一方的に批判するのはフェアではありません。

メンタルヘルスの問題に向き合うのはこれから

ただ、今回の「新しい生活様式」のように、唐突かつ急激にコミュニケーションの様式が変化すれば、ついていけなくなる人が出てきてしまうのは無理もないことです。現代人にとって貴重きわまりない機会になってしまった動物的なコミュニケーションの機会が失われてしまったことで、ストレスを解消する術を失ってしまった人、大事な相手との意思疎通がうまくいかなくなってしまった人もいらっしゃることでしょう。

昨今は「コロナ疲れ」「コロナうつ」といった言葉を耳にします。リモートワークが始まってから昼間にアルコールを飲むようになってしまった人、自律的な生活リズムを保てなくなってしまう人のメンタルヘルスの問題も懸念されます。大災害の際にメンタルヘルスの問題があらわになるのは、だいたい数カ月のタイムラグを経てからが多いのを思うにつけても、「新しい生活様式」に疲れてしまった人やついていけない人の諸問題に私たちが向き合うようになるのは、おそらくこれからでしょう。

どんなに健康的で清潔で道徳的な生活を実現しても、人間は、コミュニケーションする動物としての性質をそうそうやめることはできません。やめるべきでもないでしょう。今、私たちが感じている窮屈さやストレスは、人間にとって必要不可欠なコミュニケーションとはどういうものなのかを教えてくれていると思います。感染症が一段落したら、ですが、私たちはそれを取り戻しにかかるべきではないでしょうか。

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