※本稿は、ヤマザキマリ『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
「イタリア人は何かとルーズ」はまったくの誤解
イタリアでは6月3日に国内の移動制限が解除されました。新規感染者の数は抑えられましたが、7月半ばの時点で累計感染者数は24万人を超え、死者数はアメリカ、ブラジル、イギリス、メキシコに続く世界5位となりました。
イタリアでの感染爆発のニュースに、「イタリア人は何かとルーズだから、感染症のこともそれほど深く考えずに暮らしているのでは?」と思った人もいるかもしれませんが、事実はまったくの逆です。彼らは感染症を含む病気に対して神経質な一面をもっていて、夫のベッピーノも「新型コロナは風邪やインフルエンザと同じ程度のもの」という認識が日本でまだあった時期から、このウイルスに危機感を示していました。
日頃から、うちの家族たちは病気全般に慎重です。たとえば「インフルエンザが流行る」という情報を報道などから知ると、姑はすぐに薬屋に行き、家族分のワクチンを買ってきて、全員にそれを接種させます。イタリアではワクチンは薬局で購入するものであり、自分たちで接種も管理もしなければなりません。子どもに必要なワクチンも同様です。
「軽い風邪」でも病院を予約する危機管理意識
私の体調に少しでも病気の兆候が見られたりすると、イタリアの家族たちは神経質になります。「軽い風邪だから大丈夫」と本人が主張しても勝手に病院を予約し、無理矢理にでも医者に診せようとする。しかも夫の家族が特別ではなく、私が若い頃に付き合っていた詩人も、ほかの知人や友人も同様で、イタリア人は概して病気へ敏感に対応をする傾向が強い。そもそもホームドクター(かかりつけ医)のいる家が多いことも、関係しているのでしょう。
そうした危機管理意識が根付いているからか、今回の新型ウイルスにも「自分たちの命は自分たちで守っていかなければならない」という感覚が、イタリア家族たちのなかに当初からあったように思います。地方自治体や国といった、大きな組織のリーダーが先導して感染から守ってくれるだろうという希望的な観測は、もっていなかったですね。
日本人との感覚の違いは、マスクの扱いでも感じました。このコロナ以前、ほかの欧米諸国と同じく、イタリアでもマスクは普及していませんでした。わが家のケースで言えば、予防策といえば何よりワクチンがいちばんであり、体の内側から病気をブロックさえすれば、マスクのような表層的な対処は必要ない、というわけです。