テレビドラマに憧れ、2度目の受験でつかんだ仕事

小俣さんがANAに就職したのは1975年5月。当時、スチュワーデスは若い女性がなりたい花形職種だった。そのきっかけを作ったのは、1970年から71年にかけて放送されたテレビドラマ『アテンションプリーズ』(TBS系)である。

地方出身の女性が高卒で上京し、国際線のスチュワーデスになるまでを描いている。茨城県で育った小俣さんも中学生の頃に番組を見ては「スチュワーデス、いいわね」と友達と語り合った。

茨城県の女子高を74年3月に卒業。卒業前にANAと日本航空を受けたが、どちらも二次試験で不合格。両親は大学進学を勧めたが、「高卒でスチュワーデスになれるのにわざわざ大学に行かなくてもいい」と再受験を目指した。卒業直後の5月に既卒対象の試験があり、受けたら今度は合格に。8月に内定し、翌年の5月に入社した。

飛行機に乗ったことはなかった。「親戚を見回しても飛行に乗ったことのある人はいなかったと思います」。高校の恩師に「すごいね」と褒められたのを覚えている。『アテンションプリーズ』の主人公は佐賀県出身の高校卒業生だったが、小俣さんのスタートもうり二つ。テレビ番組に憧れた少女の夢がまずはかなった。

厳しい指導を受けた先輩から太鼓判を押された

テレビドラマではCAの卵たちは厳しい教官の指導や仲間のいじめなどに苦労しながら成長していくのだが、小俣さんは「これまで辞めたいと思うようなことは何もなかった」と笑う。

地上訓練の後、インストラクター役の先輩CAと一緒に4日間のOJTがあった。入社から2カ月後のことだった。先輩CAは社内でも「指導が厳しい人」と知られていた。その4日間を振り返り、「できないことばかりで、できることは少なかった」と小俣さん。

撮影=遠藤素子
全日本空輸(ANA)客室乗務員の小俣利恵子さん

離着陸の前にお客様がちゃんとシートベルトを締めているか、座席の背もたれを元に戻しているかなどを確認しなければならないが、見落としてしまう。今なら「なんで見えないのかしら」と思えるようなミスだ。もちろん先輩の厳しい指導が数多くあったはずだ。

でも厳しい指導にも「こんなものだろう」と受け止めたという。中学校時代にはこれまたテレビドラマ『サインはV』(TBS系)に刺激され、9人制バレーに精を出していた。「体育会系でしたので、上下関係や自分に与えられた職務をちゃんとやる、ということに違和感はありませんでした」。