MLBワールドシリーズで起きた世紀のトンネル

昭和61年10月26日の夜、池田がスポーツニュースを見ていたときである。このときメジャーリーグでは、ボストン・レッドソックス対ニューヨーク・メッツのワールドシリーズ第6戦が行われていた。

レッドソックスは3勝2敗で優勝に王手をかけていた。試合は延長戦にもつれ込み、10回表にレッドソックスは2点を挙げて、メッツを突き放した。この裏を抑えればレッドソックスの優勝が決まる。10回裏も2死になった。ところがメッツはここから反撃を見せる。3連続ヒットで1点を奪うと、さらにワイルドピッチで同点に追いついた。

2死2塁。次打者ウィルソンは、低めの変化球を打ち損じ、打球は一塁手ビル・バックナーの前に転がった。何の変哲もない緩いゴロだった。これで延長11回に続くと誰もが思った瞬間。バックナーは足をもつれさせゴロをトンネルした。二塁走者が一気に生還し、メッツは土壇場でサヨナラ勝利を収めた。

バックナーのサヨナラエラーで3勝3敗となり、優勝の行方はわからなくなった。

池田が見ていたスポーツニュースは、バックナーのエラーの瞬間を映し出した。球場は騒然となっていた。そして試合後のバックナーのコメントが紹介された。

「これが私の人生です。このエラーを自分の人生の糧にしたい」

画像提供=池田ゆかりさん
ビル・バックナー氏

「自分もこんなふうに生きたかった」

このとき池田は身を乗り出すようにして、テレビに食いついた。

「そうや、そうや、僕も一緒や。自分もこんなふうに生きたかった」

池田は涙を流しながら夫人に語ったという。ゆかりはこの光景を鮮明に記憶している。

「主人は見ながら立ち上がって、ぼろぼろと涙をこぼしていました」

レッドソックスは第7戦も落とし、ワールドシリーズ制覇を逃した。バックナーのエラーは、「世紀のエラー」「世紀のトンネル」と呼ばれるようになった。

池田は後日言った。

「すごいなあ。自分は何年もあのミスを引きずって、あのせいや、このせいや、監督が自分を守らなかったせいやと思っていたけど、僕とは全然生き方が違う。真正面から受け止めている。素晴らしい。自分も本当はこう生きたかったのに、それができなかった」

このときから池田の姿勢に変化が表れた。妻のゆかりは言う。

「これが自分の人生だと思えるようになったと言っていました。私はあのときの池田ですと今なら言える、忘れよう、逃げようじゃダメなんだ、と」