「安易」だった加藤はA級からも陥落する。

「私は計36期A級でしたが、密かに誇りに思っているのは5回陥落して5回復帰できたことです。そんな人はなかなかいないですから」

当たり前だろう。そもそもA級までたどり着けない者がほとんどだ。名人が社長なら、A級10人は「取締役」だ。棋士の大部分は1度も「取締役」に上がることなく人生を終える。加藤は名人挑戦の翌年に陥落するが、1年でA級に復帰している。

加藤一二三は信じる力を手に入れた

勝負師は「勝利師」ではない。つまり、必ず負ける。

1970年12月25日に加藤一二三が洗礼を受けた、東京・杉並区のカトリック下井草教会。

「不調になると、みんな何かを変えようとします。将棋界に笑い話がありましてね。負けるたびに千駄ケ谷駅から将棋会館までの歩く道を変えていたら、負けすぎて歩く道がなくなったと。私の人生哲学として、将棋で全力は尽くしているのだから私は何も変える必要がないと。歩く道も変えないし、スーツやネクタイも変えない。人間って、成功の直前に道を変えてしまうことが多いんですよ。もう少し執着できれば、成功できるかもしれないのに。夜明け前が一番暗いのに、その暗さに耐えられないというか。頑張っているのだから、トンネルの先に光明はあると信じてきました」

信じる力を加藤に与えたのはカトリック信仰だった。

「68年、大山名人に勝って十段のタイトルを獲得しましたが、次の年にリターンマッチで敗れ、半年間不調に陥った。70年12月25日にカトリック下井草教会で洗礼を受け、パウロという洗礼名を授かりました。以来前進あるのみです」

加藤はこの前後から、是が非でも名人を、と執念を燃やすようになった。

「人は普通努力します。努力することは尊いのだけれども、その努力の上に神の恵みが加われば、もっと飛躍できるというのが私の人生観で、実際に実現しています」

73年、再び加藤は名人挑戦者となる。しかし、中原名人に4連敗した。

「ところが、そこで神秘体験をしたのです。教会のミサで、“あなたは今回名人になれなかったけれども、いつの日か名人になれますよ”という神の声をたしかに聴いたのです。そして私はこれを錯覚とは思わなかった。だからその9年後、3一銀を見つけたときにあの秘蹟はこういうことだったのかと合点し、“そうか”と叫び銀を打ち込んだのです」