「堂々と、ここで、生きろ」に学ぶ人生の知恵
1946年、終戦翌年の初夏。十勝の酪農一家、柴田家に奥原なつがやってきます。
〈ええ覚悟じゃ。それでこそ赤の他人じゃ〉
放映初週第2話。義理の息子が戦友の孤児を引き取ってきたことに、「役立たんヤツを増やしてどうする」と言い捨てた翌日、なつ自身が「ここで働かせてほしい」と頭を下げる。すかさず「偉い!」と応え、面と向かってなつに言い放つ泰樹の台詞です。
それは優しさでもありました。続く、第4話。なつの頑張りを認めた泰樹が、帯広になつを連れてゆき、〈お前は堂々としてろ、無理に笑うことはない。謝ることもない〉、ありのままの自分でいいと、静かに語りかけるのです。
〈堂々と、ここで、生きろ〉
この台詞は、大森さんのホンを読んだときに真っ先に胸に響きました。堂々と、ここで、生きろ──。ああ、自分のいまの道を歩いてゆけ、ということか。何かが台詞に憑依したかの如く、気づくと自問自答をしていました。まるで自分に言われているような気さえしてきて、台本の文字が涙でかすんでしまう。僕も歳を取ったものです。
人生にリハーサルはありません。9歳のなつに「堂々と、ここで、生きろ」と言う泰樹は、「いまを、生きろ」と言いたいんじゃないか。常にいまが「本番」であり、だからこそ、堂々とゆけ、と。
ひょっとしてこれは、生きる知恵かもしれません。なぜなら、堂々と自信を持っていまこの瞬間を生きることで、自分の足元からずうっとのびてゆく道が見えてくるからです。たとえそれが、自分にしか見えない道だとしても。少なくとも、泰樹はそうやって生きてきたのでしょう。
〈堂々と、ここで、生きろ〉
シンプルな言葉です。
ですが、何層もの色を帯びる言葉です。台詞にした途端、なつに言い聞かせるのと同時に僕の奥にも返ってきました。
「小なっちゃん」に感じたプロの情熱
撮影当日のこともよく覚えています。なつを演じた子役の粟野咲莉ちゃんと、アイスクリームを食べながらのシーンでした。なつが自分で搾った牛乳でできたという設定です。このアイスが、じつに美味しくてね。僕は甘いもの好きなので、「なつ、よくぞやった」という気持ちに拍車がかかったかもしれません、ワンテイクで演出の木村さんからOKが出ました。
するとしばらくしてから、
「もう一回、やらせてください!」
自分の演技に納得がいかなかったようで、“小なっちゃん”咲莉ちゃんがリテイクを申し出たのです。どうやら泣きたかったのに泣けなかったらしい。撮り直したシーンが放送され、全国の朝ドラファンが涙する結果になったのはご存じの通りです。
彼女は、泰樹の言葉に涙を流すなつの気持ちをとことん考え抜いていた。僕があのとき現場でありありと感じたのは、なつと一体化した彼女の熱、見事なプロフェッショナルの情熱でした。よし、俺もやるぞ! と思いましたね。そりゃもう、俺もやらなきゃ話になりません! 同じ俳優としてそんな彼女に反射できたのは、このうえなく幸せなことでした。