多くのスタッフが『真田丸』チームでもあった
さらに嬉しかったのが、大森さんのホンに“真田”の空気が隠し味として使われていたこと。気づかれた方もいらっしゃると思いますが、『真田丸』の台詞もさりげなく入っていたり、真田一門の面々が大事な役にキャスティングされていたりと、まるで昌幸が時空を超えて十勝平野に駆けてくるような気がしてきました。しかも、チーフディレクターの木村隆文さんをはじめ、多くのスタッフが『真田丸』チームでもあったのです。よーし、思いきり暴れてやるぞ! そう決めた途端、泰樹の鼓動が耳の奥から聞こえてきました。
不思議なものです。素の自分はノミの心臓。若い頃から台詞がなけりゃ、女性も口説けない。くよくよといつまでも失敗を引きずってしまうし、体調の良し悪しを気にして寝込んでしまうこともある。この歳になると、体のあっちこっちにおかしなところが出てきて、それはもう恐怖でしかない。診てもらっている医者の先生にも「草刈さんは、ちょっと神経質だからね。これをああして、こうしてくださいね」と言われて少し落ち着くも、またちょこっと変化があるとすぐに落ち込んでしまう。
要するに、泰樹と僕は、真逆の人間なわけです。だからこそ、芝居としてこういう器量のデカい男を演じられるのは嬉しくて仕方ない。僕なりに泰樹の芯の部分を想像できたとすれば、「諦めない」というあの感触を、自分なりに知っていたからかもしれませんが──。
こうして開拓者精神のドラマが始まりました。
泰樹に受け継がれている「開墾魂」
撮影に入る前に、「十勝開拓の祖」と呼ばれた依田勉三さん(1853~1925年)のドキュメンタリー番組を観ました。勉三は伊豆の豪農の家に生まれて慶應義塾で学びますが、病で帰郷。30代を目前に、北海道開拓を志して「晩成社」という開墾会社をつくった人物です。その後の艱難辛苦の足跡は、とてつもない頑張りと不屈さの道のりで、未開の地であった十勝野に魂を捧げた記録でした。
勉三の開墾魂は、泰樹に受け継がれています。泰樹は、1902年に富山県から入植し、「晩成社」の指導を受けたという設定でした。勉三が帯広で開拓を始めたのが1883年。泰樹は、開祖の志を引き継ぐ若者でした。そこから43年の歳月が流れたのちに、『なつぞら』の物語の幕が開きます。