ある自民党重鎮の番記者を務めていたころだ。

私はこの政治家の地元での取材を重ねた連載を執筆しており、その原稿のなかで、「身内へ受け継がせる環境が整うまで、一代でつかみ取った政治家という『家業』を簡単に放すわけにはいかないのだ」と書いた。表向き世襲を否定していたが、のちに起きた長男への世襲を予言する内容だった。すると、ほどなくして先輩の政治記者とこの重鎮の会食に呼ばれた。

「まあ、あんまり下品なことは書かないもんだよな」

会話の途中で、先輩記者がつぶやいた。政治家本人は何も言わない。その後も連載は続いたが、懇談を中心とする政治取材文化について深く考えさせられる出来事だった。

元政治部記者の筑紫哲也さんが心掛けていたこと

朝日新聞政治部記者からTBSのキャスターに転身したジャーナリストの故・筑紫哲也さんは生前、「自分で心がけてきたのは、何よりもジャーナリズムというのはウォッチ・ドッグ、監視、権力、力を持っている者に対する監視役が大事だということ。もう一つは、一つの流れにダーッと動きやすい傾向が強い社会の中で、いかに少数意見であろうと恐れないこと」と語っていた。

南彰『政治部不信 権力とメディアの関係を問い直す』(朝日新書)

「ジャーナリストと政治家との線の引き方はとても難しい」とも吐露し、だからこそ、首相に手紙を書くのは就任時の1回という線を引いていた。つきあいの長かった小泉純一郎首相には、「これきりですよ」「こちらは権力を監視する側であるし、ですから、これから遠慮なくいろいろなことを言うときが来ると思います」と書いたという。

2007年に肺がんと宣告された後、亡くなるまでの1年間に「残日録」と題して、ノートに様々なことを書き付けていた。そのなかには、親しかった福田康夫首相への手紙もあった。そこにはこんな一文があった。

「目の前の相手とだけ闘論していると思わないで下さい」

メディアにいる私たちにとっても、目の前にいる取材先と向き合うことは、その先にいる読者・視聴者・市民のためであるということを投げかけているように感じられた。

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