兵庫県の76歳の女性は「記者の基本的な姿勢に対して読者に疑問を抱かせる。私はダメだと思う」と指摘したうえで、同月12日付のコラム「日曜に想う」で懇談の話題に触れなかった曽我編集委員にこう呼びかけた。

〈自民党総裁4選を辞さないのか、任期満了までに改憲の道筋をどう描くのか。夕食をともにしながら、曽我編集委員はどんな感触を得たのだろう。なぜ、首相との会食が必要なのか。費用の負担はどうなっているのか。そして、どんな話をしたのか。読者として知りたい。「日曜に想う」でぜひ書いてほしい。曽我編集委員、期待しています〉

しかし、その後も「日曜に想う」で安倍首相との会食に触れられることはなかった。メディア関係者と首相の会食は、安倍政権になって始まったことではない。保守、リベラル問わず、脈々と続けられてきた。

朝日編集委員は「直接取材が不可欠」とコメント

日本マス・コミュニケーション学会が20年6月に計画していたワークショップ(新型コロナの影響で延期)の提案文書では、「世論の反発があるにもかかわらず、メディア・エリートの側は、なぜわざわざ首相と食事をともにするのでしょうか」と問題提起。首相との懇談について、「日本のメディア・エリートたちにとって、業界トップにのぼりつめたことを意味する象徴的儀式のようにも見てとれます」と指摘していた。

朝日新聞は首相との会食問題を検証する記事を2月14日付の朝刊に掲載。「独善に陥らず適正な批判をするには直接取材が不可欠だ。権力者が何を考えているのか記事ににじませようと考えている」と主張する曽我編集委員のコメントを紹介した。

官邸担当の政治部デスクは同じ記事のなかで、「間近で肉声を聞く、葛藤しつつ取材尽くすため」と題して、次のように理解を求めた。

肉薄しつつも疑い、葛藤を抱えながら取材している

〈政治記者とは矛盾をはらんだ存在だと思います。政治家に肉薄してより深い情報をとることを求められる一方、権力者である政治家に対しての懐疑を常に意識せねばなりません。厳しい記事を書けば、当然取材先は口が重くなる。しかし、都合の良いことばかり書くのは太鼓持ちであって新聞記者とは言えません。また、取材の積み上げがなければ記事は説得力を持ちません。政治記者が葛藤を抱えつつも重ねた取材結果が、朝日新聞には反映されています。
政治家と時に会食することに、少なくない人々が疑いのまなざしを向けています。取り込まれているのではないかという不信だと思います。官邸クラブの記者が首相との会食に参加したことへのご批判はその象徴だと受け止めています〉