性的な身体の自由を結婚で手放すなんて

私はフェミニズムが男との平等を求める思想である以上に、自由を求める思想だと思っています。平等より、私は自由がほしかった。性的な身体の自由はとりわけ重要なものだと思っています。それを結婚によって手放すなんて、考えただけで恐ろしいくらいです。フェミニズムについての話をいろいろなところでするのですが、年齢層が高いと、この「性的身体の自由」については、スルーして誰も反応してくれません。アキレス腱なんでしょうか。それとももう賞味期限切れと思っているのか。

恋愛はエゴイズムの闘いですよね。独占欲をあからさまに示すのは、人間らしいエゴイズムかもしれません。男はそれを無邪気に見せますね。男が不倫をするのは無邪気なエゴイストだからだといつも思います。女がそれを上回る無邪気なエゴイストになれば、男が黙って我慢してくれる関係になるかもしれません。

「だって悔しいのよ」「我慢できない」。そうやって叫んでもいいんじゃないですか。少なくとも我慢し続けるよりずっとましだと思います。

「別れてからは私がお母さんみたいになっている」

私は男を憎んで別れたことはないんです。「幸せになってね。私の手によってじゃないけど」。そんな気持ちで別れてきました。愛する価値のある男だったし、私自身もまっすぐ愛したという誇りがあります。

時間もエネルギーもかけた相手だから、別れたあとも悪い関係にはならず、友だちとしてストックがたまっていくんです。これはありがたいですよ。いろいろな専門家がいますから、困ったらすぐ相談に乗ってくれますし。

あちらもそう思っているんでしょうか。愛人を私に会わせる男もいますね。一緒にごはんを食べたりしてね、「いい子じゃない?」なんて言うと、うれしそうな顔をする。そうか、別れてからは私がお母さんみたいになっているのかもしれませんね。すでに男女の関係でないから相手への期待値が低い。その分、許容量が大きくなるから、別れた男と“たんなる友だち”でいられるのも悪いことじゃないと思います。