知/地に足をつけた思考を積み上げるために

先のツイートと、その後の一連のツイートは数多くリツイートされ拡散し、さまざまなコメントがついた。おおむね中立的あるいは好意的なもので、「違和感の理由が分かった」というものもあった。一部では非難の矛先も向けられた。「素直じゃない」「感動するかしないかは人の勝手」そして「政府批判者ならブルーインパルスさえも憎いのか」などの感情的な意見に集約される。他方、「安倍政権は怖い」という書き込みも同様に感情的であり、両者ともに本稿の趣旨とはズレる。

まずは、理解のための礎石を一段ずつ積み上げていこう。確認すべきは、今回の航空ショーの実行者が航空自衛隊という「軍事」を用いる組織で、それは「国家」機関だという点だ。ブルーインパルスが練習機だとしても、だ。「感動するしないは個人の自由」なのでそれを否定するつもりはない。本記事は「感じたい」人にではなく、少しでも「考えたい人」に向けている。

ここでは研究上の視点から、いくつかの重要書籍を紹介しつつ考えてみたい。前半のキーワードは「感情の動員」、後半は「自衛隊と広報」である。最後には、この2つが「ブルーインパルス飛行」において、どうつながるのかを示せればと思う。

スペクタクル性と「感情の動員」について

「心を奪われる絶景」。テレビをはじめ各種メディアで頻繁に使われる定型句だ。ここで、スペクタクル的な景色に「心を奪われる」とは何かを冷静に考えてみたい。そして、「心を奪おうとした者が何か」を突き止めたいのだ。そのためには、視覚で人を圧倒するスペクタクルを解体する「言葉」を持たねばならない。

「空のスペクタクル」について、基礎的な研究成果をいくつか紹介してみよう。『飛行士たちのネイション A Nation of Fliers』(ピーター・フリッチェ、1994年)という、帝政期からナチ期ドイツにかけて、飛行への憧れと戦争への動員とが結合していることを明らかにした優れた書籍がある。

ピーター・フリッチェ『飛行士たちのネイション A Nation of Fliers』(Harvard University Press)

同書の表紙は、飛行船の離陸に感動する人々の画像が飾っている。まさに、今回のブルーインパルス飛行が目指した「スペクタクルが生み出す壮観さと感動」を象徴している。

同書はとくに、飛行の夢、空への夢と子どもたちのパイロット教育へのつながりを指摘する。ナチ・ドイツの航空大臣ゲーリングは「(ドイツは)飛行士たちの国家となるべき」と述べるほどに、「飛行教育」が進んでいた。

日本史においても、歴史学者・一ノ瀬俊也が『飛行機の戦争1914-1945 総力戦体制への道』(講談社現代新書、2017年)のなかで、飛行機は総力戦の分かりやすい象徴であり、陸海軍飛行機による空中のパフォーマンスによって航空戦力に対する「軍事リテラシー」を向上させる意図があったと書く。これは同時に、兵器を寄付する献納活動へともつながっていたのである。