年間100曲、生涯で5000曲もの多作は、依頼をほとんど断らなかったことと、作曲は楽器を使わず頭の中だけで行ったという天才肌の実力からだ。

とある過疎地の校歌の依頼では、謝礼の代わりに小豆粒を持ってきたことがあった。「お金は企業や出版社など他からいただけばいいからと、ありがたく受け取ったそうです」と正裕さん。「エール」で改めてその作品と生涯に注目が集まっている。

朝ドラ効果で再注目される古関楽曲

古関が在籍していた日本コロムビアが4月末に発売した『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』は、福島の地元紙、福島民報社が昨年から今年にかけて実施した読者の人気投票で選ばれた30曲を集めたCD2枚組のアルバムで、発売2日で初回生産分の3000セットが売り切れ、発売1カ月足らずで約2万セット近くを売り上げた。

代表的な139曲を収め、生誕100周年の2009年に出た『国民的作曲家 古関裕而全集』はCD6枚と本人出演のDVDのセットでこの10年あまりで3000セットを売り上げたが、引き合いが多く、新たに5000セットを増産した。

福島民報社の人気投票は、1位が「高原列車は行く」で、実はかつて福島県内を走っていた貨物列車がモチーフだ。2位が「栄冠は君に輝く」、3位は戦争や原爆で亡くなった人を悼む「長崎の鐘」、4位が「オリンピック・マーチ」、そして早稲田大学の応援歌「紺碧の空」、阪神タイガースの「六甲おろし」、ザ・ピーナッツが歌った映画の主題歌「モスラの歌」、戦後の大ヒットドラマの主題歌「君の名は」などが収録されている。

ドラマで古関の人となりを知り、夏の甲子園が中止になったこともあって「聞き覚えのあるパートだけでなく、楽曲を通して聞いてみたいという人が増えたのではないか」と大手レコード会社の音楽ディレクターは推察する。

40年ぶりの自伝は復刻、半年で4万5000部のベストセラーに

「栄冠は~」は戦後の1948年、新制高等学校による高校野球選手権大会が始まったことで古関が大会歌の依頼を受けたもの。古関は戦時中に予科練生を鼓舞する「若鷲の歌」など多くの戦時歌謡を作曲し、結果として多くの若者を戦地へ送ってしまったことを悔いていたという。

「栄冠は~」は戦後復興もままならない大阪に行き、実際に甲子園球場のマウンドに立ち「脳裏にメロディーがわき自然に形づけられた」と生前、唯一書き遺した自伝『鐘よ鳴り響け』に書いている。戦死した若者を悼むと同時に高校球児を応援したいとの思いがこめられていたのだろう。

筆者撮影
JR福島駅前のモニュメント

母校の福島商業は甲子園出場の常連校。正裕さんは「本人は全くスポーツをしない運動音痴でしたが、母校が出場するとテレビで試合を見ていました」と懐かしむ。