医療市場失敗の理由
たしかに、市場原理・自由経済の考え方が根強い日本の中で、医療という業界を「公」として考えることには抵抗感があるかもしれない。
しかし、あまり知られていないことだが、医療経済学の世界では医療を民間市場に開放することは「市場の失敗」を招く可能性が高いことが知られている。コロナ以前に、そもそも民間に任せることは医療業界にとって最適解ではないということなのだ。
その理由は以下のとおり。
◎モラルハザード
健康保険があるので、自己負担(病院に直接払う額)は非常に安い。5000円のフランス料理も、自己負担1割なら500円で食べられる(あとの4500円は保険で払われるのだから)。それなら1日3食フランス料理(しかも宅配してくれたりして)を食べたい、という意識になりかねない。
◎情報の非対称性
パンの安い高い・うまい・まずいは判断できても、高度な専門知識を要する医療の世界で、その医療が「良い医療なのか、そうでないのか」は多くの国民には判断できない。
患者側で判断できるのは医師がやさしいか? とか、待ち時間が長くないか? とか、受付の愛想がいいか? そういう表面的なところ。食べたパンの味がわからない状態でどのパン屋がいいとか悪いとか言っても全く意味がない。
しかも、パンと違って「おなかいっぱい」がないので、医療は際限なく需要(提供)されてしまう。高齢になれば病気を探せば何か見つかる。しかしほとんどの加齢現象は治らない。高齢化社会では医療を提供しようと思えば、いくらでも提供できるのである。
つまり、医療業界は市場原理による最適化が望めないのだ。
医療機関による競争は患者を増やすばかり
あなたは、
「病院にも民間による競争原理が必要」
などと思っていないだろうか。
医療機関による競争は患者を増やすばかりなのに。
しかも国の安全保障としての指揮命令系統が失われてしまうのに。
もう一度言う。
いま全国に緊急事態宣言が出され学校は休校・外出は自粛、すべての国民に多大な負担を強いているこの状況で、
「コロナ対策病床がたったの全病床の1.8%」
というのは本当におかしな話である。
大事なのは病床の数ではない。本当に機能する医療がどれだけあるのか、なのだ。
緊急事態に対しどれだけ迅速に戦闘態勢を整えられるか、なのだ。
私が財政破綻で医療崩壊した夕張市で医師として働いていたときもそうだった。病床の数は一気に約10分の1になってしまったが、当時の院長だった村上医師は、本当に市民の健康や幸福に貢献する部分(少しの病床と、市民の健康と生活を支えるプライマリ・ケア)は決して譲らなかった。村上医師はいつも、
「医療は『公』だ。公として存在しなければ意味がない」
といつも言っていた。
病院が多ければそれでいいのか?
緊急事態に対応できる真の医療体制は何なのか?
新型コロナウイルスで医療について考えることが多い今こそ、日本の医療を根本的に考え直すいい機会にしてほしい。
いま私は切にそう願っている。