推定感染者100万人近くで死者200人の病気を特別視する必要があるか
もうひとつ、人々が「思考停止」もしくは「視野狭窄」を起こしていると感じることがある。
コロナウイルスによる国内の死者は、欧米と比べて非常に少ない。医療がいいのか、日本人の体質の問題なのかはわからない。日本に限らず、台湾や韓国、シンガポール、ベトナムも少ない。その一方でPCR検査数の少ない日本では、感染者数が非常に低く見積もられている可能性が高い。
現に慶應大学病院が4月中旬、「新型コロナウイルス以外」の患者67人に対して感染しているかどうか調べる検査を行ったところ、およそ6%(4人)の人がPCR陽性だった。
似たような結果は、ナビタスクリニック(東京・新宿/立川)でも出ている。202人中12人、5.9%が陽性だった(3月21日~28日に調査)。
市中感染率が6%くらいだとすると、東京都内の人口で単純計算すると1395万人×0.06=83.7万人ということになる(実際にはすでに抗体ができている人も一定数いるので感染率はもう少し高いと推測することもできる)。
東京都のウェブページによれば5月11日現在、感染し入院したことがある人は累計で約4880人。死亡者は189人だ。
ここで思うのは、推定感染経験者数が100万人近くいる中で、200人弱の死亡者数の病気をそこまで特別視する必要があるのかどうかということだ。数字を軽視するわけではない。メンタルヘルスや高齢者の健康、そして経済活動に大きな犠牲を払う以上、検討するべきだと思うのだ。
交通事故死は全国で年間約4000人、アルコール関連死も年間約5万人
たとえば自動車による交通事故死は全国で年間約4000人だが、自動車は世の中になくてはならないものなので、交通法規を定めることはあっても車の使用禁止という話にならない。また、アルコール関連死も年間約5万人に及んでいるが、一滴も飲んではいけないという法律を作る動きはない。アルコールによる社交機能やストレス発散機能という面を考えているからだ。
もちろん、これまでの筆者の主張は、「ひとりの精神科医」としての私見である。聞くに値したいと言う人もいるだろう。だが、異論に耳を傾けず、一方向だけの正義しかないと考えるとすれば、それは極めて危険な集団思考と言われても仕方ないのではないか。
本稿の趣旨は、本来賢い者をバカにしてしまう思考パターンに陥らないよう、読者自身に常に「自己モニター」をしてもらうことにある。コロナ対策に関していえば、「外出自粛こそ正義である」と思考停止に陥っていないか冷静に振り返ることで、自らの判断をより妥当なものにする、と私は信じている。