俺みたいな人間がいることじたいが軋轢

軋轢は、あった。仕事の激しさに、メンバーがしばしば交代した。神奈川県厚木市のNTC(日産テクニカルセンター)5階の専用ルームは、壁をガラス張りにして厳しい情報秘匿体制を敷いたが、無理に探りを入れてくる“古巣”の部署からメンバーを守る隠れた目的もあった。「口では言えぬくらいひどい目にもあった。俺みたいな人間がいることじたい軋轢。俺についてくるなんて、よっぽどの変わり者だよ」と漏らす水野は、バカになること、耐えることが自分の特性だという。「バカになるっていうのはすごく大事なこと。要するにさ、新しいことをやるっていうことは、今までやってきた人が否定されて、潰されることなんだよ。でも、『水野ならまあ、しょうがない』からスタートすれば、誰も傷つけないですむ」

間近でそのリーダーシップを見続けた鈴木は言う。

「人を思いやるっていうところは尋常じゃないぐらい。その姿勢が凄いですね。いつ誰が何をやっているのか、部下のことを本当に熟知されています」


「世界のスーパーカーをつくるには、日本の職人に戻ればいい」

07年10月のお披露目までの3年半に、メンバーの“職人魂”を示す挿話は無数に生まれた。水野に図面を破かれ、「精度を達成できなきゃプロジェクトをやめる」と迫られた鈴木。試作車を前に「こんなものつくれねえだろ」と“挑発”され、777万円を可能にするラインを築いた栃木工場の面々。塗装ロボットの管理役で縮こまっていたが、「おまえらの腕を高く売ってやる」と檄を飛ばされ誇りを取り戻した塗装工たち……。

「世界を転戦していて思ったのは、日本人の最大の武器は、どんな職業であれ『次はもっといいものを』と思う心です」

同じことを正確に繰り返すだけの他国とはまったく違う、と水野は言う。

「世界のスーパーカーをつくるには日本のブランド、つまり職人に戻ればいい。職人はモノ一個一個に魂を込めて質感を高め、ユーザーの20年、30年先まで考えながら付加価値を上げていくんだよ。車の職人が本来の姿を取り戻し、欧州車に逃げていたユーザーが日本車に回帰する。そんな現象が今、起こり始めたんじゃないか」

GT-Rの意義を語るのはまだ先、と水野は言うが、現代の職人たちが希代の棟梁の下で“ニッポンGT-R”を実現した、この事実だけでも日本人の血を沸き立たせるには十分だ。(文中敬称略)

(初沢亜利=撮影)