たしかに暴力の効能は存在した

横浜高校の暴力事件の報道を知って、私は「やっぱりそうか」と思う人間だ。なぜならば、大学時代に体育会野球部に所属し、さまざまな形の暴力を体験したからだ。

元永知宏『野球と暴力 殴らないで強豪校になるために』(イースト・プレス)

1986年4月に私が入部した立教大学野球部は、1966年以来、長くリーグ優勝から遠ざかっていた。推薦入学制度もなく、甲子園経験者は数えるほどしかいなかった。甲子園で活躍したスターが集まる明治大学、法政大学はもちろん、早稲田大学、慶應大学の後塵を拝していた。さらにいえば、一度も優勝したことのない東京大学に敗れることも、最下位に沈むこともあった。

80名以上の部員は全員、埼玉県新座市にある智徳寮で暮らしていた。狭い6畳の部屋に布団を並べて寝ていた。朝7時起床、消灯は23時。些細ささいなことで罵声を浴び、誰かのミスで鉄拳が飛んだ。その4年間はいつも暴力という緊張感のなかにあった。

だから、暴力が野球選手にとってどういうものかは身に染みてわかっている。うまく手なずけることができればものすごい効果を生み、使い方を間違えればとんでもない惨劇が起きる。だが、一時的であったとしても、暴力の効能は確かにある。私自身、それを見たことがある。

いまだに暴力を手放さない指導者たちがいる

しかし、それはもう30年以上も前のことだ。

高校野球の暴力事件の記事を読んで、「やっぱりそうか」と思うと同時に、「いつまでそんなことを……」と考えた。

暴力的な指導によって、選手たちは鍛えられ、根性がつく。だから、「暴力は許されない」と理解していながら、懐に暴力を忍ばせて指導を行う監督やコーチがいる。令和になったいまも、どこかに隠れている。いや、野球のすぐ近くでユニフォームを着て立っているかもしれない。

悲しいことに、高校野球だけでなく、少年野球からプロ野球まで、暴力を根絶することができていない。

上司が仕事場で部下に暴力をふるった時点で大問題になる。厳重注意で済むとは考えにくい。それが一般常識だろう。だが、野球界では「愛のムチ」という言葉がまだ生きている。愛情があれば、多少の暴力は許される。

少年たちの野球離れが急速に進んでいる。中学の軟式野球部員は7年間で12万人減り、中学硬式野球の「リトル・シニア」も、名門・老舗の廃部や休部が相次いでいる。高校球児の数は毎年約1万人ずつ減少しているという。その原因のひとつが、野球界に依然として残る暴力的指導、暴言であることは間違いない。なぜ、暴力を根絶できないのか——。