【佐藤】占いは人知を超える世界だという感覚があり、占いをしたら逆に左右されやすくなるため、しないのだと思います。

同志社大学神学部の学生たちにも占いの経験があるかと聞くと、だいたい3~4割は経験があると答えます。一般の大学だともう少し多く、半分ぐらいあると答えます。創価大学では「そんな迷信は信じません」と、占い経験のある学生はゼロでしたが。

【池上】それはそうでしょう。

本物の占い師と偽物の占い師の区別の仕方

【佐藤】本物の占い師と偽物の占い師の区別の仕方を伝えたいと思います。占いは、ベースに占星術があります。だから生まれた時と場所を尋ねない占い師はインチキ占い師です。生まれた日にちと時刻をできれば分単位で、それと場所の経度・緯度をはっきりさせることで、原点の天球がどうなっているかがわかります。占いはその星と太陽と月の位置を原点にし、そこからどう乖離しているかで組み立てます。そのため、時間と場所を特定しない占いはいい加減です。論理からしても、週刊誌やワイドショーで朝に見る占いは、当たるはずがありません。

占いは何かというと、入り口はぶっ飛んでいてまったく非合理的、非科学的です。ちなみに、宗教思想では神秘主義もそうですが。ところが一度その中に入るとすごく詳細な手続きがあり、合理的なのです。私のような神学屋からすると、占いは科学の発想に似ています。要するに一つの手続きがあり、その手続きにのっとって行えば同じ結論が出てくるという点で、科学と魔術は近く見えるのです。

【池上】政治家の占いの話でいいますと、1978年に首相にもなった大平正芳はクリスチャンでしたが、首相在任当時、実は人を介して、岡山のほうにある某宗教団体からのご託宣をいつも受けていたと言います。そのご託宣をもとに、今後についていろいろなことを考えていた、と。

クリスチャンでも政治家としてトップになると、そのような心の弱さ、不安がやはり生じるのかな、と思いました。

心に弱さがある限り、占いはなくならない

【佐藤】聖書の中には「占いはいけない」「動物と交わってはいけない」と書かれています。これも、そのようなことをする人が実際にいるから禁止になっているわけです。クリスチャンがひそかに占いに行くことは、よくある話だと思います。

私は占いをされる側ではなく、する側になりたいと思い、一時易学や占星術に凝ったことがあります。編集者を「どこかの占星術学院に通わないか」などと誘ったこともありますが、さすがに周りの牧師連中から「やめとけ。ただでさえ誤解されているから、そんなことをするとキリスト教系の淫祠邪教でも作ろうとするのかと思われる」と言われたので、やめました。しかし心の中には今でも、占いの内在論理を知りたいという気持ちがあります。