当たるはずのない「占い」が、決してなくならないのはなぜか。占いを信じる人間の心理について、ジャーナリストの池上彰氏と作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が対談した——。

※本稿は、池上彰、佐藤優『宗教の現在地 資本主義、暴力、生命、国家』(角川新書)の一部を再編集したものです。

タロットカード。手前に愚者のカード
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「心」は体のどこにある?

【佐藤】池上さん、心ってありますか?

【池上】あるというか、ないというか。「ない」と言うと、「やはりおまえには心がないのか」と言われそうなので、一応は「ある」ということにしておきます。

【佐藤】このことで、同志社大学神学部の学生たちといつも議論します。「おまえ、心はあると思うか」と。「あります」と答えた学生には「どこにあるか、指で指してみろ」と言います。

【池上】胸を指す人が多いのではないでしょうか。

【佐藤】胸を指す人、頭を指す人、腹を指す人はいます。けれども、手や足を指す人はいません。

【池上】そうですね。

【佐藤】少しずるい人は「全体です」と答えます。

私は神学的な議論をしたいから、この話をするわけです。神さまは上にいるという話があるでしょう。ところがコペルニクス革命以降、上や下と言うことに、すでに意味はありません。ブラジルから見たら下は地球のど真ん中を抜けて日本になり、日本から見るとブラジルが下になり、上にいる神というのは担保できなくなりますから。われわれ(クリスチャン)は、神さまがいないと商売あがったりなのです。

池上さんは、世界中のコンピュータネットワークがつながったとき、「今、神が存在する」と答えたSF作品について触れたことがありました。いずれにせよ、そこで言う「神」はキリスト教、ユダヤ教でいう神さまではありません。人間の限られた知性によって表象される神は人間の偶像で、神ではないからです。その意味で、われわれは神を説明できないのです。