「反朝日新聞」だけになってしまった

その際、保守にとっての「国内の敵」の象徴となったのが朝日新聞だった。「日本悪しかれ」の価値観から、戦前の行いを批判するだけでなく、戦後の外交関係においても朝日新聞は中国や北朝鮮、のちに韓国の肩を持つようになった——少なくともそう見える論調が多かった。自身が戦争をあおったにもかかわらず、戦後は一転、俯瞰した視点から日本を“攻撃”する朝日新聞こそ敵であり、反日であり、それに対抗すること自体が愛国的言動であるとみなされるようになった。

例えば慰安婦問題や憲法議論において反朝日新聞的態度をとってきたのが安倍総理で、愛国的議員として保守派から支持を受けるようになったのはこういうわけである。つまり、ここでいう「愛国」とは、反戦後民主主義であり、反革新であり、なんなら反朝日新聞だったのだ。もちろんこれ自体に意味はあったのだが、これ「だけ」になってしまったところに問題がある。

安倍総理は自らを「開かれた保守主義者」とし、その政治思想の成り立ちについても『新しい国へ』につづっている。ここでまさに「祖父が推進した日米安保に反対する人たちをうさん臭く思った」と自身の保守主義が反革新的感情から醸成されたことを自ら明らかにしているのだ。

親米こそが保守=愛国者といういびつな図式

しかしここで問題が生じる。リアクションとしての反革新に終始していると、「普通に見れば愛国的、ナショナリズム的感情の発露であるはずなのに、革新の専売特許になったことで保守が手を出さなくなったカテゴリー」が生まれることになった。アメリカとの関係である。

沖縄の反基地運動を保守派は「反日勢力の仕業」「中国や北朝鮮に対する利敵行為」というが、普通に考えてナショナリストは自国に他国の軍隊の基地があることをよくは思わない。だが、反米・反基地は革新派の専売特許となり、さらには安全保障の現実という建前が加わって親米こそが保守=愛国者という図式ができあがった。

安保闘争のさなか、子供時代の安倍総理が祖父の岸信介氏に「アンポってなあに」と聞いたところ、こんな答えが返ってきたという。

「安保条約というのは、日本をアメリカに守ってもらうための条約だ。なんでみんな反対するのかわからないよ」

この時点では間違いではないだろう。だが安倍総理は40年以上を経た自身の第1次政権時にも、ほとんど同じような感覚を持っていた。

「日本に向けて(北朝鮮が)ノドンを数発発射し、万が一それが日本本土に着弾することになれば、日米同盟に基づいて米軍が報復します」(『文藝春秋』2006年9月号)