愛国的政治家の代名詞だったが
かねて安倍総理を「闘う政治家だ」と評する声は多かった。肯定的であれ否定的であれ、いざとなれば強権を振るうことも辞さない、危機や有事に強い政治家である、と。
北朝鮮のミサイル対応や拉致問題、中韓との歴史論争、朝日新聞との対立といった局面で、確かに安倍総理は闘ってきた。親安倍的な保守の論調においては、安倍総理はまさに「愛国的政治家」の代名詞だった。
反安倍的なスタンスを取ってきた人たちからは、安倍総理をヒトラーになぞらえる声すらあった。憲法への緊急事態条項の記載は、ナチス政権の全権委任法にも等しいという批判も後を絶たなかった。
だがこれらの論評は間違いだった。振るえる強権などなかったし、危機に際し戦う姿勢すら示せていないのである。問題はなぜこのような間違いが起きたのかだが、それは戦後の「保守・革新」の成り立ちに由来する。
「この国に生まれ育ったのだから、わたしは、この国に自信をもって生きていきたい」
安倍総理の著書『美しい国へ』の一節だが、こうした言動から安倍総理は「愛国者」の筆頭としてとらえられてきた。
都合の悪い歴史的真理の前に恥じ入り、時には怒りに身を震わせる
オタゴ大学教授の将基面貴巳氏は『日本国民のための愛国の教科書』において、〈自国の誇りとは都合の悪い歴史的真理の前に恥じ入り、時には怒りに身を震わせることで、より倫理的に優れたものになる〉〈自国のことを卑下する人間は愛国心を持っていない、というような単純な話ではない〉と述べている。
その点でいえば、確かに安倍総理をはじめとする戦後保守派には自国を時に批判的に見据え、過去の過ちを徹底的に反省する姿勢は乏しかっただろう。しかしそれはいわゆる戦後の革新派にも責任がないわけではない。彼らは当然、「愛国」などという言葉は戦前の反省から口にしなかった。本来なら歴史の両面を見て、徹底的に批判すると同時に、肯定すべきところは浮かび上がらせる必要があったが、前者だけの姿勢にとどまった。つまり戦後革新派も「戦前の否定」というリアクションに囚われていたのだ。
こうした風潮に対抗して「戦前の全否定はおかしい」と登場したのが保守であり、「反革新」の受け皿となった。その姿勢こそが愛国的であるという錯覚も生んだが、当時はやむをえなかった部分もある。自分たちが戦前を擁護しなければ、いったい誰が戦後の日本人に光と誇りを与えてくれるのか、という思いだ。