さらにいうと、「維新の十傑」と呼ばれる10人の中にも龍馬の名前は入っていません。これはつまり何を意味するのか。坂本龍馬は明治維新ではたいした役割を果たしていなかったということです。ではなぜ龍馬がこれほど有名なのかといえば、司馬遼太郎さんが小説『竜馬がゆく』を書いたからです。

歴史の常識に対して「なぜ」をつなげて学んでいくと、1つの物語になり、記憶に定着しやすくなります。具体的な実践法は、週刊文春の連載「0から学ぶ『日本史』講義」や、下記の著書を参考にしてください。

歴史を学ぶうえで、ここが最も重要なポイントです。歴史はファクト(事実)とフィクション(作り事)を峻別しなければ、何の意味もありません。ある有名な時代小説家も「ファクトを描いても本が売れない」とおっしゃっていました。時代小説はエンターテインメントですから、売れるためにおもしろおかしく書かれている。それを読んで歴史を学んだ気になってはいけません。歴史に興味を持つ入り口としてはいいのですが、本当の歴史ではありません。

そもそも歴史を学ぶ意義は何か。理由は非常にシンプルです。未来に備えるためです。過去の教訓に学び、未来に備える。悲しいことに、人間にとって教材は過去の歴史しかないのです。これが歴史を学ぶすべての意味です。たとえば、南海トラフなど巨大地震の発生が懸念されていますが、東日本大震災のことを勉強した人と、勉強しなかった人では、大地震が起こったときに、どちらが助かりやすいか。自明ですよね。

なぜ仏教が伝来したか なぜ黒船が来航したか

とはいえ、歴史学者の本をただ読めばいいというものではありません。歴史には学び方があります。これは歴史に限りませんが、知識だけを蓄積しても、本当の力にはならない。自分自身で考えて応用できる力が何より大事です。だから本を読むときには、考えながら、自分のものとして腹落ちさせること。腹に落ちたら、その情報を生きたものとして使えるわけです。腹落ちさせるためには、読んで、納得できないことは自分で文献などを調べるしかありません。

たとえば、仏教の伝来。教科書では538年に百済から伝わったと習います。この知識だけがあっても何の役にも立たない。なぜ百済は仏教を日本に伝えたのかと疑問を持つことが大事です。実は仏教というのは当時、最新の「技術体系」だったのです。仏教を広めるには寺院の建築や法具、お経、衣服などをつくり、僧侶も育成しなければならない。百済がそのような貴重なものをなぜわざわざ日本に教えてくれたのか。

当時の朝鮮半島では高句麗・百済・新羅の3国が争っていました。百済は両国に激しく攻められていた。538年は新羅に侵攻されて、まさに国が存続の危機にあり、日本に兵士の支援を求めたのです。その見返りとして最先端の技術体系を教えた。ここまで踏み込むことで、仏教伝来の意味が理解でき、納得できるのです。