イランの人口ピラミッドは「富士山型」から「つぼ型」へ一気に変化

国の状況を知るためには、人口ピラミッドを描いてみるのが近道である(図表1参照)。参照のため日本の人口ピラミッドも付した。また、図表2には一般的な人口ピラミッドの推移の理念型を掲げておいた。

イランは日本に比べれば、高齢化が進んでいない若い国であるが、イランの人口ピラミッドは多産多死の「富士山型」から、少産少死の「つりがね型」をスキップして、一気に、先進国で一般的な少子化社会の「つぼ型」へと近づいている点が特徴である。

この点を時系列データで裏づけるため、図表3に、イランの出生率と平均寿命の長期推移を示した。出生率のデータは女性が一生の間に生む子ども数を示す合計特殊出生率の値で示している。

1985~2000年に出生率が「6超」から「2」まで急減

1979年のイスラム革命後、一時期、出生率が上昇したのち、1985~2000年の15年間に出生率が「6」以上から「2」まで3分の1になるという驚異的な低下の時期を経ていることが分かる。一方、平均寿命は多くの戦死者を出したイラン・イラク戦争の時期を除くとこの間に50歳台から75歳前後へと大きく伸びている。すなわち、多産多死の国から少産少死の国へと一気に状況が変化したのである。

この結果、20代後半~30代前半(現在30代)が、前後の世代から隔絶したイラン版の「団塊の世代」となっている。「団塊ジュニア」の世代も生まれている。この10年で「団塊の世代」が血の気の多い20代から子供のいる30代にシフトした。対米対立に慎重になったのもこのためだろう。