イスラム主義宗教国家の下で急速な出生率の低下

イランにおける出生率の低下は奇跡的ともいえる推移をたどっている。

イスラム革命直後にはホメイニ師の意向もあり、王政期の出産抑制策を見直し、出産奨励へと方針を転換した。そのため、婚姻年齢の引き下げ(男は12歳、女性は9歳)や大家族優遇が実施されて、出生率が押し上げられ、人口は急増に向かった。

ところが、人口過剰の弊害への懸念が急に高まったため、家族計画はイスラム法に反しないというホメイニ師のファトワ(教令)が1988年に出され、避妊具無償化、家族手当・子ども手当廃止、出産休暇・育児休業手当削減といった出産抑制策が次々と実施された。

こうして、出生率は上昇から下落へと旋回し、その後、下落の程度が上昇幅を大きく上回ったため、イランの出生率は一気に先進国並みの水準にまで下落したのである。

テヘランの元米国大使館
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つまり、イランの少子化は、日本や欧米先進国のように徐々に、かつ自発的に選択されていったものというより、中国と同様に政策的な誘導の側面が強かったのである。

最近は再度、出生奨励の方向へ舵を切っている

宗教はそもそも多産多死の時代に生まれたものなので基本的に出産奨励の思想を内包している。ホメイニ師も例外ではなかった。なぜイランで、宗教指導者まで含めて一気にこの考え方を180度転換できたのかは「大いなる謎」である。

これに対する私なりの謎解きは、イランはスンニ派ではなく、シーア派のイスラム教国だからというものである。次節でその訳について述べよう。

最近は、しかし、ハメネイ師が人口の高齢化と低出生率に対し「恐怖で震えている」と言ったことなどを受け、再度、出生奨励の方向へ舵を切り直している。避妊法の1つの精管切除術の無料化は中止し、それどころが違法にされた。

その結果、「2」を下回っていた出生率は最近上昇傾向となり、2015年以降は「2」を回復している。