人々の思惑に合わせて形を変えていく

——人が来るから、ですか?

「そう。そしたら平成19年くらいにパワースポットブームですよ。平日でも参拝客がどどっと来られるようになりまして。おかげさまでそれまで静かだった門前町もにぎやかになりました。門前そば、なんて始めちゃったりして」

門前には食事処や土産屋が軒を連ねている。昔ながらを再現した風情ある街並み。世界遺産の富岡製糸場と違って活性化にも成功したようで、これもパワースポットのパワーというべきか。

郷土誌によると、榛名山はかつて地元の人々の祖霊が登っていく山として信仰されていた。やがて『延喜式』(927年)にも記載される格式高い神社が建立されたのだが、密教(修験道)の行者たちが修行する場ともなり、神仏が習合する。

神が実は仏の化身であるとされたわけで、近世になると「満行宮榛名寺」などと呼ばれ、寺として上野の寛永寺の配下となる。ところが明治初年の神仏分離令によって廃仏毀釈運動が起こり、仁王像などの仏具類は破壊され、再び榛名神社に戻った。神社→寺→神社。その名残りで今も境内には、三重塔や仁王門(現在は「随神門」)が残されているのである。

時代の要請に合わせて形を変えていく。

考えてみれば、これも「とりあえず」ではないだろうか。国語学者の大野晋によると、日本語の「仏」とは、もともと「精妙な美しい像」(『日本人の神』河出文庫 2013年 以下同)を意味し、それを「立派な堂舎に安置」することが仏教だったという。

なんでもかんでも神にする

教えではなくあくまで形。教義を理解することは「到底一般の人には不可能だったはず」で、当初の神社もとりあえず仏教の形を借りて建立していたらしい。

とりあえず仏教でとりあえず神社。元来の山に対する信仰についても、本居宣長は日本人はなんでもかんでも神にすると指摘していた。鳥、獣、人、雷、海、山、木、草、さらには「凡人にも負るさへあり」(『古事記伝(一)』岩波文庫 1940年 以下同)、つまり凡人にも劣るものまで崇めてしまう。