おしゃれ、お守り、旅行の口実…
「パワースポットは社殿ではないんです」
そう教えてくれたのは月刊誌『ムー』(学研プラス)編集長の三上丈晴さんだ。
同誌はオカルト系の人気雑誌。1979年の創刊以来、UFO、超能力、怪奇現象などを探究し、「ミステリーゾーン」「心霊スポット」などの言葉を世に広めてきている。「パワースポット」についても「隠れパワースポット」「ダークスポット」など細やかに紹介し、いうなれば「パワースポット」の発信源なのである。
「例えば、明治神宮も本殿ではなく、境内にある清正井。奈良の大神神社も御神体ではなく、参道の脇にある岩。そこがミソ。一種の変化球なんです」
——変化球?
「つまり『そこではない。ここなんだよ!』ということです。『そこに行ったことあるかもしれないけど、ここは行ってないでしょ』と人にも言えるじゃないですか」
「そこ」ではなく「ここ」。ピンポイントで指し示すということで、指先にパワーが込められるのだろうか。
「それに、社殿となると宗教くさくなりますよね」
確かに社殿に注目すると御祭神や由緒が気になる。そこで由緒書きを読むのだが、大抵は文章の主述関係が混濁し、何かを誤魔化しているようで意味不明なのである。
「その点、パワースポットはおしゃれ感覚にもマッチしています」
——おしゃれ、なんですか?
「写真を撮って、スマホの待ち受け画面にすれば御守りになるし、フェイスブックにもあげられる。それに『パワースポット』と言えば、旅行の口実にもなるじゃないですか」
「そこ」ではなく「ここ」にある
旅行も「パワースポットに行く」となればお得感が高まるのだ。彼の話を聞きながら、私は「四国八十八ヶ所巡礼」を思い出した。巡礼ものの元祖で今も定番のコースになっているのだが、その火付け役となったのは江戸時代に大ヒットしたガイドブック『四國徧禮道指南』(眞念著 稲田道彦訳注 講談社学術文庫 2015年 以下同)である。
同書は巡るべき仏像の名前と大きさ、御詠歌などが記されている薄い本。著者本人が「佛神のふしぎ愚意の及ふ事にあらず」と宣言するくらいで、教義はもとより排除されている。
簡潔に札所から次の札所へ行く道のりを案内しているのだが、よくよく読んでみると、距離や宿、茶屋を紹介しつつ、途上にあるスポットをさりげなく織り込んでいる。