「アベノミクスは正しかった」という思い込み

重ねていうが、スキーマを作るのは人間の情報処理能力を高めるためにごく普通に生じる適応現象であり、スキーマそのものが悪いものではない。むしろ、人生経験や学習経験でいろいろなことに対してスキーマをきちんと作っておかないと、判断がてきぱきとできない人間といった烙印らくいんを押されることもあるだろう。

しかし、スキーマに縛られすぎると、ほかの考えが浮かばないだけでなく、情報を歪曲したり、自分のスキーマに当てはまるような情報にしか目に入らなくなったり、都合の悪い情報を無視するようになってしまうのが危険なのだ。

アベノミクスそのものは、財政政策にせよ、金融政策にせよ、理論上は妥当なものだし、それを組み合わせるというのも妥当な考え方と言える。

ただ、「だから、すべての施策が正しい」という方向でスキーマが働いてしまうと、株価が上がったとか、失業率が下がったという都合のいい情報にしか注意がいかなくなる。さらに、私が冒頭で述べたように、都合の悪い情報を無視したり、否定したりする方向で思考が働いてしまう。実際、国民の中にもそうした人が少なくないように感じられる。

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「財政出動を十分に行えば景気がよくなる」「金融緩和を十分に行えば景気がよくなる」というようなスキーマは、旧来はうまくいったし、理論上も正しいとされてきたことのため、よりスキーマになりやすい。また、それを自ら否定することが困難になりやすく、他者の批判を受け入れにくくなる。

自らの施策に疑い目を持ち、ほかのやり方を試そうとはしない

しかし、前述した経済対策などが少しでもうまくいっていない可能性があるのなら、「今の時代は、そうとは限らないかもしれない」と自らの施策に疑い目を持ち、ほかのやり方を試してみたほうが結果的によくなる可能性も高い。

「消費不況なので、むしろ増税をして経費を認めるほうが、人々はお金を使うのではないか?」
「社会保障に金を使って、人々に安心感を与えたほうが、人々はお金を使うのではないか?」
「MMT(現代貨幣理論)を信じて借金を恐れず大減税を行えば景気がよくなるのではないか?」
「相続税を思い切り高くすれば、お金を残しても損なので、高齢者が金を使うのではないか?」

というふうに、これまでの理論では「トンデモ」と思われることでも、試してみるとうまくいくことがあるかもしれない。3年くらい試してみて、うまくいかなければ別のものを試すという姿勢があれば、9年の任期があるのなら、3つの経済政策を試すことができる。