ですが、その小早川の寝返りで、西軍は総崩れとなりました。恐らく、三成は負けた理由がわからなかったと思います。それほどまでに人の気持ちが読めず、吉継の苦言通りコミュニケーションスキルに問題があった人物なのです。

長男を殺した男を最高幹部に抜擢

そんな三成とは正反対といえるのが、ほかならぬ家康です。自分自身が誠実でないという自覚を持っていた家康は、常に「人間は誠実ではない、裏切るもの」と考えていました。

世界史上では信長・秀吉タイプの英雄は数多いですが、家康は最も世界に通用しない英雄と言っていいでしょう。たぬきおやじで、陰謀くさくて、田舎者で……。

しかし、家康本人は「自分は信長・秀吉にはなれない」ことが、よくわかっている。ならば、と家康は周囲をよーく見ているんですね、優れた人のいいところを。そして、それをことごとく真似する。特に、若い頃に三方ヶ原の合戦で惨敗した相手である武田信玄を徹底して真似します。歩き方、座り方、物の持ち方。滅亡した武田の家臣を幾人も引き取って、ヒアリングまでしています。すべては生き残るためなのです。

そんな家康ですが、普通ではありえないことも数多くやっています。

例えば、自分の長男・信康を切腹に追いやった張本人である酒井忠次を、最高幹部である四天王の1人に抜擢しました。自分の長男を殺した張本人を、ですよ。

その忠次が引退する際、家康に挨拶をしにきたのですが、そのときに言った言葉が何と、「これからは、私の長男を同様によろしくお願い致します」。

それに対する家康の返事が、今も残っています。「おまえでも、長男が可愛いか」。家康はこのとき、どんな顔をしていたのでしょうか。歴史には想像力が必要ですが、嫌みや皮肉ではなく、満面に笑みを浮かべてそれが言えたと私は考えています。それが家康の凄さなのですよ。

家康ほど、さしたる能力のない天下人もいなかった、と私は思っています。にもかかわらず、生き残りました。家を守るためなら長男も見殺しにしたし、その殺した張本人を最高幹部にもした。何というか、絶望の中における寛容さとでもいうのでしょうか。自分が生き残るには、忠次のような優れた人を使うしかないと考え、その実行を躊躇わなかった。プライドがあれば、それが邪魔しますが、それすら捨てています。

そんな家康ですから、当時の人は、あの人律儀だけどあほだし、かわいそうだなーぐらいにどこかで思っていた。現代の日本人なら、徳川265年の歴史の端緒となった人として尊敬もしますが、同時代の人からは嫉妬すらされない。ずっとそういう人を演じ切ったのですね。家康は誰にもなれない、日本史上の稀有な英雄だと思います。

(構成=高橋盛男)
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