人の心に分け入って、歴史上のできごとを解釈しようとする学問が歴史心理学ですが、その手法でアプローチしていくと、あるひとつの感情が歴史の転換点で、大きな作用をおよぼしていることがわかります。それが嫉妬です。

家康(写真左)は、地の利のある美濃大垣城にいた三成(同右)の西軍主力を、偽情報を流して関ヶ原へと誘い出し激突。自身がかつて三方ヶ原で惨敗した際の、信玄の手法を真似たという。(AFLO=写真)

三成の場合は嫉妬によって、というより嫉妬されることに対して無防備だったことが、その命運を決定づけました。自分が豊臣家の家臣の中で一番有能であることを自覚していた三成は、有能な人間が妬まれるのは仕方がないことだ、と思っていました。生真面目で誠実な人に多いとらえ方です。

一方、嫉妬する側の心情はどのようなものでしょうか。例えば、自分と同格だと思っている人が、何らかの功績で出世すると「あいつはいいな」という羨望が生まれます。それだけならいいのですが、次第に「オレも頑張っているのに」と思うようになる。それが嫉妬の芽生えです。

嫉妬心は誰にでもある感情ですし、それが競争心に切り替われば、ポジティブなエネルギーにもなります。しかし、厄介なことに、嫉妬心は知らぬうちに増幅されやすいのです。

文豪シェイクスピアは、『オセロ』のなかで「嫉妬は緑色の目をした怪物で、人の心を餌食にしてもてあそぶ」と記しています。「同じように頑張っているのに、なぜ自分は評価されないのか」という思いが募ると、得てして人はそのはけ口を他者へ向けます。その鬱憤晴らしは攻撃性を帯び、その理由を自分勝手な理屈で正当化しようともします。そこが“怪物”の怖さです。

コミュニケーションスキルに問題があった

嫉妬から生じた攻撃性が、立場の弱い者に向けられればパワハラやセクハラ、恋愛感情が絡めばストーカー行為といった形で表に出ます。逆に、嫉妬の対象に向けられれば、造反や追い落としなどになるでしょう。

三成の身に起こったのは、まさに後者でした。家康との対戦において三成は、福島正則や黒田長政ら豊臣方の武断派を頼りにしていました。彼らがいれば勝てると踏んでいたのです。ところが、かねてより三成を妬み、「小賢しい」と鬱憤をため込んでいた福島や黒田らは、徳川方についてしまいます。

さらに三成は、関ヶ原で小早川秀秋の陣中に自ら3度も足を運び、徳川勢への切り込みを頼み込んでいます。自分がこれだけ誠実に仕事をしているのだから、誠意さえ示せば小早川はわかってくれる、従ってくれると確信していたのです。

確かに、三成に嘘はないのです。命がけで豊臣家のことを考え、それだけの能力もあります。九州征伐や朝鮮出兵のときのように、大量の兵を動かし、かつ連れて戻ってくることがどれだけすごいことか。あれだけの企画力を持った人が、豊臣家で他にどれほどいたのか疑問です。