以上のように、普通の数学者にとっても抽象的で高度な概念を駆使して、研究をしていたグロタンディークが、あるとき大ヘマをやらかした。

天才は間違っても気にしない

あるレクチャーで、彼の話している内容が抽象的すぎてわからない、具体的な例を挙げてほしいと頼まれたグロタンディークが、「わかった。素数を例にしようか。たとえば、そう、57」と言ってしまったというのである。

「57!」

確かに、57は、一見、割り切れる数がないようにも見える。でも、ある程度計算が得意な人だったら、すぐに、「ああ、それは素数じゃないよ」と答えることだろう。

19×3=57。2つの自然数の積として書けるから、「57」は素数ではない。小学校のときに算数が得意だった人は、各桁の数を足したものが3で割り切れると、その数自身も3で割り切れるというルールを覚えているかもしれない。「57」は、明らかに「3」で割り切れる。

グロタンディークのような超絶的に頭のいい人が、間違えて「57」を「素数」だと言ってしまったというこのエピソードは、多くの人に異様な感銘を与えた。そして、「グロタンディークが57は素数だと言うんだから、やっぱりそうなんではないか」ということで、「57」を「グロタンディーク素数」と呼ぶ習慣が数学界でできた。

このエピソードは、知性の成り立ちを考えるうえで、とても興味深い。深く抽象的に数学を考える卓越した能力を持つ人が、「57」が「素数」だとうかつにも言ってしまう。それくらい、人間にはいい意味で「抜けた」ところがある。

完璧な人間などつまらない。修行僧のような外見のグロタンディークだが、「グロタンディーク素数」のエピソードで、その人がらに親しみを持てる。

天才はおおらかである。間違っても気にしない。自分の興味のあることを、徹底的に追究する。これからの時代に必要なのは、そんな自由闊達な精神ではないか。

「グロタンディーク素数」のことを思い出すだけで、なぜか口元にほほえみが浮かんでくるのである。

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