「ここで一番でかい絵を描けば有名になれるんじゃないかな」

アーティストに路線変更したものの、ニューヨークのアートシーンに参入していくビジョンも方法論もありませんでした。そもそも、アートをやりにニューヨークに行ったんじゃなくて、行ってからアーティストになろうと決めたわけですから。最初は自分の部屋でひたすら絵を描いていた。当然、描いても、描いても何も起こらない。だったら外で描くかと。元々スノーボーダーだったから、ストリートアートには馴染みがあったんです。

当時、ブルックリンのウィリアムズバーグというエリアがアーティスト・コミュニティになっていて、芸術家が集まって住んでいました。当時はまだ無名でしたがKAWSも住んでいたし、バンクシーも壁画を描いていた。単純な発想で、「ここで一番でかい絵を描けば有名になれるんじゃないかな」と。問題は、巨大なものは大体が違法なんです。そんな折に、たまたま知り合ったアジア系のキュレーターとコラボレーションする形で実現できて、大きな壁画を合法的に描くことができました。これがきっかけに仕事が広がったんです。

©Matsuyama Studio
キース・ヘリングやバンクシーなど、名だたるアーティストが描き続けてきたニューヨークSOHO地区の巨大な壁(Houston Bowery Wall)に今年の9月完成した松山智一の作品。

「コースターの裏」にVANSのロゴを入れた

あるとき、新しく開店するバーのオーナーに「店内に絵を描かせてほしい」とお願いしました。芸術家が集まるこの街で、酒場という文化が育まれるハブを通じて、面白いコンセプトでアートを届けられないかという話を持ちかけたんです。シューズメーカーのVANSが協賛についたのですが、当然のことながら、壁画にロゴを入れてほしいといわれて断りました。ロゴを入れると広告になってしまうからです。でも1万ドルの協賛金は制作に必要だった。当時僕は1日2ドルくらいで暮らしていましたから。

それで、まず外からも見えるように、店中にも僕の作品をあらゆる箇所に内装として入れ込みました。すると、壁画を見た人はなんだろうと興味を持ってお店に入ってくる。そこで一杯飲み、会話がアートから始まる。飲み物を受け取るコースターの表には僕の絵、裏にVANSのロゴを入れたんです。そうすることで、体験としての壁画、経験としてのアート、お酒を通じての対話、を含むひとつの場を提供できたんです。VANSにとっても、コースターという、そのお店での記憶と共に人々が持ち帰ることができるものにロゴを入れることができたので、ハッピーでした。

この取り組みが話題になって、インディー系のカルチャー誌が十数ページ使って僕の特集を組んでくれました。こういう雑誌がブランドのクリエイティブディレクターたちの情報源になっているんです。それを読んで連絡してきたのがナイキでした。当時、ナイキもそうしたカルチャーをフィーチャーし始めたころだったんです。作家性の高いコラボレーションが企業とできる立場になり、おかげでブルックリンのめちゃくちゃ治安の悪いところから少しずつ安全な場所に引っ越していくことができました。それで、絵を描いて食べられるようにはなったんですが、サブカルチャーの延長で、やっぱりまだ現代美術の世界には入れていなかった。