現代のクリエイティビティは「編集」
現代アートというとなんでもありのように思われるかもしれませんが、あくまでも西洋美術の歴史的文脈のなかで解釈されるものなんです。だから現代アートの世界で認められるためには、自分の作品をその歴史的文脈のなかでどう見せるかということを突き詰めていくことが求められます。僕はそのあたりの教育をまったく受けていなかったので、ニューヨークパブリックライブラリーに入り浸って現代アーティストのDVDを片っ端から見まくりました。
見ていくうちに、現代アーティストの仕事は、自分たちの時代を自分の言語で投影することなんだということに気づいた。その方法論として僕は「編集」に目をつけたんです。美術に限らず、現代のクリエイティビティってすべからく編集ですよね。例えば、パソコンを使ってさまざまな音楽を組み合わせるとか、ヒップホップやクラブミュージックの世界ではそうやって音楽をつくっていた。オリジナリティを寄せ集めて、幕の内弁当みたいにしてしまえば、それが新たなオリジナリティになるんです。
※松山の作品は江戸時代の浮世絵、狩野派や若冲などの大和絵、伝統衣装の柄、近代西洋絵画、コンテンポラリーアート、ポップアート、ファッション誌の切り抜きなど古今東西のビジュアル要素を再編集して細部までつくりこむのが特徴。本ページの作品は2018年にベルギーのブリュッセルで展示されたもの。女性作品を構成する要素は女性・屋内・西洋柄、一方で男性作品を構成する要素は男性・屋外・東洋柄。一対の作品で時代と世界観を表現している。
現代アートは「ルールブックの改正」
実は僕は絵が下手なんです。絵を描くということに関して、アカデミックなトレーニングは一切受けてないので。でも、「編集」という観点で考えると、ヒップホップだって楽器が弾けない人たちがいろいろな音楽を合法的にミックスしてループをかけてオリジナルの音をつくっているなということに気がついて、これをアートでもやればいいんだと思ったんです。
それと似た感覚で、(葛飾)北斎や(伊藤)若冲の面白い要素を拝借したり、ポップアートやファッション誌を切り取ったりして、一つの見たことない絵になるまでいじり倒した。ただ人の絵を描き直すなんて、誰もがやろうとしなかったので、最初はこんなことやっていいんだろうかと恐る恐るやっていました。「アートにおける編集」って誰も突き詰めていなかったんです。
現代アートとは西洋技術史の文脈のなかで、そのアーティストの生きている時代を切り取って、そこにアーティスト独自のステートメントを組み込んだものです。それを「アート」と命名する。その作品に説得力があるか。見た人が「新しい」と思うか。つまり芸術家がやることは「ルールブックの改正」です。自分勝手な表現行為ではないし、職人技を極めたものづくりとも違います。アンディ・ウォーホルは大量生産、大量消費のアメリカ社会を切り取って、マリリン・モンローの肖像画をスクリーンプリントで大量に生産したり、「ピス・ペインティング」といって、銅の顔料を塗ったキャンバスに放尿して抽象絵画のように見せたりしました。ときに暴力的であっても、非常識であっても、時代を鮮やかに切り取って見せるのがアーティストの仕事なんです。