「イスラム法があるので、大丈夫」
イスラム文明の人びとの、考え方や行動様式を、思い切って単純化して取り出すと、つぎのように4行で表すことができる。
(1)まず自己主張する。
(2)相手も自己主張している。
(3)このままだと、紛争になる。
(4)イスラム法があるので、大丈夫。
「イスラム法があるので、大丈夫」と考えるのが、イスラム文明の人びとの特徴だ。
イスラム法は、人類全体のために、アッラーが定めた法律である。人間が勝手に変えてはいけない。イスラム法に従う、人類全体の集団ができる。これを、ウンマ(イスラム共同体)という。ウンマは、地上にひとつで、アッラーに従う。平和が実現する。
では、政治はどうやるのか。
預言者ムハンマドが生きていた当時は、ムハンマドがウンマをひとつにまとめて、政治を行った。
ムハンマドか死ぬと、後継者が立った。スンナ派ではカリフ、シーア派ではイマームという。誰が正しい後継者かをめぐって、二つのグループ(スンナ派とシーア派)がケンカになった。モメてはいるが、誰かひとりムハンマドの正しい後継者がいるべきだ、という点では一致している。イスラム法の基本も、だいたい一致している。
イスラム世界で「アラブの春」が起こる理由
やがて、スンナ派ではカリフが、シーア派ではイマームがいなくなった。イスラム教徒全体を率いるべき、政治の担当者がいなくなった。正しい政治ができなくなった。
でも、政治は必要だ。イスラム法を守らない悪者から、人びとを守るためだ。そこであちこちに、王さまみたいな存在が出てくる。
「王さまがいていい」とイスラム法に書いてない。「いけない」とも書いてない。いるものは仕方がない。そこで、こう考えることにした。
(1)王は、イスラム法を守り、イスラム教徒の幸福のために、はたらく。
(2)イラスム法を守らず、イスラム教徒の幸福にならない王は、背教者である。
(3)背教者は、みんなで起ち上がり、追い払ってよい。
これが、イスラム教徒のやり方だ。政治が安定しない。ときどき起こる「アラブの春」は、(3)のことである。
イスラム法に、契約の考え方はないのか。ある。イスラム法は、契約を保護する。商取引も結婚も、契約である。
けれども、イスラム法では、契約によって法人をつくることかできない。法人とは、人間の集まりで、人格をもつもののこと。契約を結んだりする、権利の主体である。