親子の会話は勉強や進学の話ばかり
教育のこととなると、一生懸命になれた。愛し方がわからなくても、勉強をやらせることは、目的がはっきりしているのでやりやすいからだ。娘も母親に認めてもらおうと、勉強を頑張っていたので、成績も良かった。ただ、百点をとるのが当たり前になって、九十五点でも、「何を間違えてんの!」と、できなかったところばかりを厳しく責め立てた。
Nさん自身も、教育に熱心な家庭で育った。母親はどの大学に進むかということにしか関心がなく、親子の会話は、勉強のことか、誰それがどこの大学に行ったとか、親戚の子がしょうもない大学にしか行けなかったといった話ばかりだった。母親からは、Nさん自身がどんなことに興味を持っているかとか、どんな気持ちでいるかといったことを尋ねられたこともなかったし、母親は、人はするべきことをしたらいいという考え方で、気持ちなどは、余計なものくらいにしかみていなかったようだ。
Nさんもいつのまにか、母親と同じように、一流の大学に進むことこそが価値だと思うようになっていた。塾に通い、勉強にも励んだ。その甲斐あって、超一流とはいかなかったが、偏差値もそこそこ高い進学校を経て、中堅クラスの大学に進むことができた。特別にやりたいことがあったわけではないが、名の通った会社に入り、とりあえず無難に就職もできた。
子に「早く死んでくれたらいい」とさえ思う
結婚など、本当は興味なかったし、男の人に体を触られるのも正直好きでなかった。
それでも、年齢が上がるにつれて、周りが結婚していき、母親からもせっつかれるようになったとき、たまたま交際を申し込んできた今の夫を、結婚相手に選んだ。別に好きだったわけでもないが、学歴が高かったので、まあ、いいかと思ったのだ。
だが、結婚生活は失望と苦痛の連続だった。娘が生まれたが、正直、可愛いとも思えなかった。育児も家事も苦手だった。私ばかり、嫌なことをさせられてという思いが強かった。唯一一生懸命になれたのは、娘の教育だった。娘は物覚えがよく、Nさんの期待に応えてくれていた。
希望といえば、娘が良い高校、良い大学に進んでくれることだったが、娘が学校にさえ行けなくなったことで、その希望さえも崩れ去ってしまったのだ。今では、あんな子は生きていても意味がないので、早く死んでくれたらいいとさえ思ってしまうことがあるという。