「死ぬなら迷惑をかけずに死ねよ!」に怒る大学生

授業では、「死の体験」についてのリポートも書かせている。

ある男子学生(18)は8年前、母方の祖父が他界したのが最初の「身内の死」であった。訃報を聞いて、学校を休み、母の故郷の岩手で「冷たくなった遺体」と対面し、初めて「死とは何か」を実感し、「涙がこぼれた」という。

また、祖母の葬式の経験をつづった男子学生(18)は、「祖母の友人らが大勢集まり、あたたかい空気に包まれていた。葬式の場で、今まで知らなかった祖母の人となりを知ることができた。悲しみの中で、新しいことを知れたうれしさのようなものも同居していた」と正直な心境を明かした。

なかには、同級生の自殺の経験をふまえ、「社会の中で自殺があまりにも軽くみられ過ぎている」と憤る女子学生(18)もいた。近年、SNS上で、電車への飛び込み自殺などに対し、「死ぬなら迷惑をかけずに死ねよ!」などのつぶやきが多いことを彼女は指摘し、「死とはその人にとって、人生の終わりだ。そんな最期を、他人がバカにする社会は許せない」と、憤る。

「死」は格好の教育材料だ。公教育で「死」を学ぶ機会はほとんどないが、近しい人の死や墓参りなどを通じて、感受性が養える。だからこそ、われわれは若い世代に対して、「供養の大切さ」をしっかりと伝えていく必要があるように思う。

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