編集部員も涙した、進次郎と育ての母
進次郎氏は1歳のとき、父の純一郎元首相が妻と離婚。その後は、純一郎氏の姉道子さん(故人)を「ママ」と呼んで過ごした。中学2年のとき、純一郎氏から「ママは私の姉だ」と明かされ、「うそ」「僕には本当の母親だよ」と返した当時の進次郎氏の言葉は、3年前に行われた道子さんのお別れの会で、純一郎氏が泣きながら披露した。そんな家庭環境も踏まえて、進次郎氏は「絶対に結婚、という価値観とか、考え方は正直私にはありませんでした」と話している。純一郎氏自身、「結婚のエネルギーを1とすると、離婚は10以上。私は二度と結婚しない」と公言。息子たちにも、結婚を急がせるようなプレッシャーは、かけていなかったのだ。
ただ、一方で「プリンス」の結婚の行方に注がれる「外野」の関心は、年を重ねるごとにどんどん高まっていった。進次郎氏は次第に、その板挟みになっていたようにも感じる。
近年は、結婚に関する質問には、神経質なほど「塩対応」だった。18年7月、「平成のうちに伴侶をという声があるが」という質問を受けた際は、「女性議員にもこういうことを聞くんですかね」と返し、答えなかった。おそらく、滝川さんとの交際が始まっていた時期ではないか。変化球のような質問だったが、どストレートに受け止めていたのだろうと、今となっては考える。
毎年、通常国会の召集日には本会議後に、一年の抱負などを語ってきたが、19年はそれがなかった。さきの臨時国会では、報道陣が待つのとは別の扉から出たこともあった。
進次郎氏は17年末に、月刊誌の企画で作家塩野七生さんと対談。政治家として成長するため、現状からの「脱皮」を強く勧められていた。18年の通常国会召集日には、18年のテーマを「脱皮」としたことに質問が及ぶと「今までうまくいっていることを続けていても、成長の限界は必ずやってくる。変えていくべきは変えていかないといけない」と話した。うがった見方になるが、結婚という高いハードルを越えることにも、踏ん切りをつけて動き出す。「脱皮」のススメは、そんなきっかけになったのかもしれない。
19年4月にインタビューをした際にも、「変化」に挑む思いを話していた。
現役引退した元マリナーズ、イチローさんのルーティンを引き合いに出し「現役時代、毎年バッティングフォームを変えていた。200本打てるのになぜいじるのか。200本がゴールではなく、もっと結果を出せるフォームがあるかもしれないという、あくなき探求心、向上心。これですよね」「僕も常に思っている。演説の仕方や言葉選び、政策分野を含めて、知らない自分を見てみたいし、自分がどこまでいけるか見てみたい。変化の先には、希望もあると思っている。今を続けることではなく、変わることに意味があるんです」。
今となっては、言葉と人生の変化がリンクしているように感じる。