「北海道のタコ釣り漁船」の仕事に飛び込んだ
【有坪】都会で暮らす方で、そういうふうに思われる人は多いと思います。それで、具体的にどういうアクションを起こしたのですか?
【松尾】漁師か農家になりたいと思いました。それで、求人広告に出ていた北海道の「タコ釣り漁船」の仕事に飛び込みました。週6日勤務で労働時間は8時間、月給が40万円という条件で、契約期間は1年でした。実際には、1日19時間くらい働いて、休みは月に1日か2日程度で、めちゃくちゃきつかったです。
【有坪】でも、それに見合うだけの給料が出ていた?
【松尾】給料は、平均すると月に50万円ほどもらえました。でもトイレに行くのも走らないといけないほど厳しい職場で、しかも海上での仕事が体に合っていなくて、簡単にいえば、海に出た300日のうちほぼ毎日吐いていました。普通は1~2カ月で慣れるらしく、体質的に自分は漁師になれないと感じました。それで最終的に残ったのが農業だったんです。
「マイナーな土地でマイナーな作物を育てる」と決めた
【有坪】ようやく農業にたどり着きました(笑)。今度はどうやって農業の仕事を探したのでしょうか?
【松尾】懲りずに求人広告です。というのも、漁師の仕事がきつすぎたので、これ以上のつらいことはないだろうと思っていたので。農家になるにあたって重視したのは、就業時間や労働環境ではなく、マイナーな土地で、マイナーな作物を育てるという視点でした。
【有坪】メジャーで儲かりそうな農作物ではなく、あえてマイナーなものをやる。面白い視点ですね。どういうことでしょうか?
【松尾】まず、東京での営業の仕事で、すごく対人でのストレスを感じていたことと、北海道の漁師生活でも、毎日のように先輩たちからの罵詈雑言を浴びる生活だったことから、なるべく生産者の集まりや組織のしがらみというか、圧力のようなものがあるところは避けたいと思っていました。
【有坪】大きな利権が絡むメジャーな作物では、そういう人的ストレスが多いだろうって考えたわけですね。
【松尾】はい。田舎への移住という視点でいっても、移住者が多いエリアでは、いろいろな利権が絡んでいそうだなって思って。それで、奥能登と呼ばれるこのエリアで、しかもあまり聞いたことがない栗という作物を選びました。具体的には、3カ月間の研修生を募集していて、研修を終えたら栗園を譲りますという条件でした。