定期的に読み返すと「自分の課題」が確認できる

他人には話せないこと、知られたくないことも、日記には書いてきた。日記をつけるということは、ある意味、自分自身を主人公にした映画を撮ることでもある。監督はあなた自身。その日のはじめに、きょうはどういう物語を織りあげようか、と考える。コメディでいくか、シリアスドラマでいくか。自分はヒーローになろうか、悪漢になろうか。そんな楽しみも湧いてくる。

同じことを他人に話すのと日記に書くのとでは、雲泥の差がある。日記に書く場合は、「感情を一切閉めだす」ことができる。これを言ったら相手が気分を害するかどうか、失礼なやつと思われないか、傲慢なやつと憎まれないか、そんな考慮は一切する必要がない。他人の思惑など考えず、正直に事実を記録できるのも日記ならではだろう。

正直に記したものを後になって読み返すと、あなたの生き方を見つめ直すきっかけにもなる。「なんだ、自分はこんなことをしていたのか。これは改めなければ」と思うこともたびたびのはず。知らないあいだにボーッと生きていたな、とか、逆に、こんなに生き急ぐこともないじゃないか、もっとのんびりと時間をかけて、本当に大切なことを実現していこう――そんなふうに反省するきっかけにもなるだろう。

日記は、気分がいいときに読み返すこともあれば、落ちこんでいるときに読み返すこともある。どちらにしても、現在の仕事における「自分の立ち位置」をはっきりと確認できる。日記に書かなければ忘れていたようなこともよみがえってくる。何よりありがたいのは、いいことであれ悪いことであれ、それを経験したときに湧いた感情を、ありのまま追体験できることだ。

私が大坂なおみについてメモしていたこと

テニスの試合の最中、私はいつも途中経過を分析していた。うまくいっていること、いってないこと。そのときどきのなおみのアクション。日によって、フォアハンドに注目したり、バックハンドに注目したり。

試合中の自分のプレイを逐一覚えているプレーヤーなど存在しない。私は試合中に気づいたことをすべてメモにとり、試合後に読み返して、気づいたことをなおみに伝えていた。自分の気持ちを書き記して、後で読み返すことは、脳を鍛える意味でも役に立つ。成長の推移を冷静に分析できるし、のちのち多角的な判断を下すのにも有効だ。

ノートしたものを読み返すと、自信も深まる。年間を通してプレーヤーと行動を共にしていると、二人でなしとげた進歩の跡も忘れてしまいがちだ。

2018年の暮れ、なおみと組みはじめた当初からのメモを読み返して、二人が積み重ねてきた改良点の多さに驚いた。私はどちらかというと、次のチャレンジ、次のチャレンジ、と前に目が向くタイプだが、ときにそうしてたどってきた旅の豊かさを振り返るのも、悪いものではない。